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ゆるふわ忘年会 死の害の形而上学編

ゆるふわ形而上学研究会忘年研究会として、鈴木生郎さんの論文「死の形而上学」の合評会を行ないました。

資料

鈴木生郎さん「死の害の形而上学
http://t.co/UhhtA4rP

at_akada「「死の害の形而上学」について」
https://docs.google.com/document/d/1fRq7sOPZJJcx98i1FjCJbZYL_4F_ElmHDPh5IckBZGQ/edit

補足

論文中でも触れられている吉沢さんの論文です


twitterでの議論をまとめました。

当日の論点

以下はあくまでも、わたしがうろおぼえでいたものをまとめたものです。抜けとかまちがいとかたくさんあると思いますので、ご理解ください。あと、イクロウさんとわたし以外の発言をあまり入れられなかったですが、当日は活発な議論がありました。


わたしからは、

  • (1)ある出来事がいつ害なのか
  • (2)死後の福利について

という主に二つの論点を提出しました。


イクロウさんからのコメントは、(1)については、「ここで批判されている立場は、私の立場ではない」。
(2)については、対立点があることはわかったものの、当日の応答はちょっとすれちがった感じになってしまいました。
(わたしが、言われたことをすぐ理解できなかったのもあって、うまく再反論できなかったですね)。
と、「ああすればよかった、こうすればよかった」を書くとネガティブな感じですが、非常に楽しい会でした。
以下もう少し細かい話や、あとで思いついた再反論を書いておきます。

(1)ある出来事がいつ害なのか

イクロウさんからの応答をまとめると、おそらく、下のような感じ。以下「イ」はイクロウさんが言っていたかと思われる発言。
(誤解があったらごめんなさい)

  • イ: 害を構成する出来事と、「いつ害なのか」が同時というのは正しい分析かもしれない
  • イ: その上で、剥奪の害については「剥奪が起きているときが害が起きているとき」ではないか
  • イ: Bradleyみたいに、各時点の福利が決定されており、期間の福利が各時点の福利の総和になっているのは、自分も変だと思うし、その立場に立ったつもりはない
  • イ: しかし以上を認めても、死の害が生前というのは変じゃないか

さらっとかわされてしまいました。まあ、ここについては、死後の害を否定するまでの理路をあんまりきちんと立てられなかったのでしょうがないかなあとは思います。イクロウさんの論文とあまり関係なく、「いつ害なのか」について、いろいろ問題があるよなーと問題をだしてみたが、そんなに対立点ではなかった、まあそうですよねという感じ。

(2)死後の福利について

イクロウさんからの応答は、おそらく

  • イ: 死者の意志や欲求をまったく尊重しなくていいというのは、誰でも同意するような意見ではない。個人的には、尊重すべきだと思う
    • この点は当日も述べたが、論争的ではある。
    • 少なくとも死後数十年まで、欲求が「生きている」というのはまあわからないでもない。しかし認める人も認めない人もかなりいるんじゃないか。儒教的なテーゼ
  • イ: 福利について、「ある世界のある時点においてsは福利xを享受する」という言い方はそもそも誤解をまねくもの。「享受する」という言い方に体験を含意するような響きがある。「ある世界のある時点はsにとってよい」という言い方にしよう。
  • イ: 「ある世界のある時点はsによってよい」という評価は、sが存在しない可能世界やsが存在しない時点についても、有意味であるはず。「遠い過去やフィクションがsにとってよい」ということもありえるし、「遠い過去におけるsの福利」は別に変じゃない。
  • イ: そして以上のように理解するかぎり、「ある世界のある時点がsにとって合理的な欲求な対象である」ことと、「ある世界のある時点がsにとってよい」ことを有意味に区別することはできないはず。


この辺はきちんと反論すべきポイントでした。わたしが言うべきだったことは、

  • なるほど、たしかに「邪馬台国が九州にあることは太郎にとってよい」という言い方をわれわれはするだろう。
  • しかしこれは現在生きている太郎の福利を考慮する際のよさの評価と、本当に同じことだろうか。どちらかといえば、太郎の欲求を「よい」という言葉で表現しているだけではないか。
  • たとえば、紀元前の人々は、いまだ生まれてさえいない太郎の福利に配慮すべきなのだろうか。なぜか紀元前の人々が将来の太郎の過去についての欲求を知ったとしても、「知らんわ」でおわる話では?
  • これは環境倫理において将来の人々の利益を考慮するのとは、まただいぶちがう話だと思う。将来の人々の利益を考慮する際は、将来の人々の「将来における福利」を考慮してるわけだし。太郎の過去向きの欲求に対応する福利の場合は、過去の世界における太郎の福利を考慮しないといけないということになる。
  • 現在この時点が将来の人々にとって良いものかどうかは、はるか昔の人々にとって現在のこの時点が良いものであるかどうかと同じように、配慮しなくてよい事柄に思える。
  • あとイクロウさんは、sの福利を、「ある世界のある時点がsにとってよい」ということとして捉えるのだが、ここで福利の主体sは、あるひとつの可能世界(現実世界)に存在する、無時間的な存在者ということになっている。
  • (他の可能世界におけるsの福利を評価する際でも、評価の文脈を提供するのはあくまでも現実に存在するsさんの存在。だからこそ、「sが生まれなかった世界におけるsの福利」という言い方さえ意味をもつ)。
  • しかしだとすると、やはりde Se欲求については、欲求を福利に対応する形で理解することはできないはず。
  • 「今が手術の後であってほしい」という欲求は、かなったとしても、この現実世界におけるわたしの人生を少しもよくしないのであるから。「今が手術のあとであることがsにとって無時間的によい」は意味をなさないのではないか。
  • あと「死者の福利を考慮すべきだとすると、はるか古代の人々にも配慮しつづけないといけないことになる」という意見について
  • イ: 「剥奪の害は、通常の寿命が切れるあたりでなくなる」
  • という風に言われたけど、これはちょっと変でしたね
  • ここでは害じゃなくて福利を問題にしているので、どこかの段階で死んでる人の福利が0からundefindになると言わないかぎり、はるか古代の人々も福利0を享受しつづけることになるはず
  • すべての可能世界で、寿命が切れる頃に、福利がundefindになるって言えればいいけど、わたしが不老不死になってる可能世界が存在したりすると、わたしは永遠に剥奪の害をこうむることになってしまう……。


あと誕生の害について

  • イクロウさんの枠組みだと、生まれてきた人について、「生まれてきてよかった」「生まれてこない方がよかった」は言えるけど、生まれてこない人はそもそも指示できないので、「生まれてくればよかったのに」とか「生まれてこなくてよかった」は言えない。
  • あくまでも現実世界が存在者のドメインと、評価の文脈を提供する。世界内存在ー
  • しかしこれがほんとうに一環した立場なのかどうかは疑問がある
  • これから子どもを生もうとしている人に対し、「あなたがその子どもを生むと、その子どもは生まれてきてよかったことになる。しかし子どもを生まないと、その子どもが生まれてきてよかったのか生まれてこない方がよかったのかはそもそも評価の対象外になる」
  • これは、何を言ってるのかわからないのでは……
  • あとたとえば、あきらかに子どもをつくるべきじゃない状況で子どもをつくろうとしている人に対し、「その子どもは生まれてきたら生まれない方がよかったということになるが、生まれなければよい悪いの評価はくだせなくなる」という話だと、「生まない方がいい」とは言えなくなるのでは。
  • ひとつの解答は、「その子どもが生まれてこなければ、評価はできなくなる」という条件文が、評価の文脈を混乱させることで、なんか変なことを言ってる可能性はある。でもイクロウさんの体系を説明するために、この条件文に似たものをつかって真理条件を説明できないといけないのでは
  • いや、うまく混乱を除去できる可能性もあるけど、結構難しい話ではないか

参考文献

“個”からはじめる生命論 (NHKブックス)

“個”からはじめる生命論 (NHKブックス)

加藤先生は、当日もお越し頂いて、いろいろ意見を頂けました。

The Metaphysics of Death (Stanford Series in Philosophy)

The Metaphysics of Death (Stanford Series in Philosophy)

論文集。参考文献はだいたい入ってますね。

Well-Being and Death

Well-Being and Death

表紙がかわいいですよね。わたしの参考文献はこればっかりになってしまった。

Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence

Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence

裏主要文献。みんなこれを意識しつつ喋ってた気がします。
その内、ちゃんと紹介記事書こうと思いつつ書いてない。「万人は生まれてこない方がよい」という主張を擁護しまくる危険な本。