Flint Schier『図像の深層へ』5章

Deeper into Pictures: An Essay on Pictorial Representation (Cambridge Studies in Philosophy)Deeper into Pictures: An Essay on Pictorial Representation (Cambridge Studies in Philosophy)


少し前の本だなと思って積んでいたが(kindle版ないし)、図像による指示とフィクションの図像を扱う5章を読んだ。
少し前の本だけあって(原著は1986)、出てくる名前がクリプキやパトナムやデイヴィドソンで、変な思考実験がいろいろ出てきて、いかにも一昔前の分析哲学の本だなあと感じた。悪い意味ではなく、逆に新鮮で、最近の描写の哲学だとこういう問題はあまり扱われてないなと思うものもあって面白かった。

  • 5. 認知とアイコン的指示
    • 1. アイコン的指示のパズル
    • 2. 描写と双子
    • 3. 認知の二つの仕事
    • 4. 図像的指示の分析
    • 5. フィクションの図像的指示


Schierは、クリプキの名前の意味論に依拠している。「ヘンリー」という名前は、その起源においてヘンリーを指す機能を与えられ、すべての可能世界でヘンリーを指示する。
一方、ヘンリーの肖像画は、「図像の内にヘンリーを認知できる」という機能を果すことで、ヘンリーをアイコン的に指示する*。しかも肖像画は名前同様にすべての可能世界でヘンリーを指示する。
* ここでいう「認知」は対象を再認する心理的な能力のこと。SchierはLopes同様、描写についての「認知説」を取っている。


またヘンリーをアイコン的に指示するためには、ヘンリーを認知できる図像でなければならない。そのためヘンリーの絵ではあるが、絵が下手で、ヘンリーをアイコン的に指示できていないということもある。
図像の機能について、Schierは「椅子」のような道具、および「語word」と比較して以下のように説明している。図像が機能を果たすには、ヘンリーの図像であることを認知できなければならないので、使用者は図像の機能に気づかなければならない。一方、単語の場合、それが何を指すのか(=どんな機能を果たすのか)気づいただけで、十分単語の機能は達成される。図像の場合は、気づいただけではだめで、ちゃんと対象を認知できないといけない。

椅子 図像
機能が知られていなくても機能を果たせる 機能が知られていないと機能を果たせない 機能が知られていればそれだけで機能を果たせる

また、フィクションの図像の場合、ユニコーンシャーロック・ホームズは存在しないのでユニコーンシャーロック・ホームズを絵の中に認知することはできない。Schierはウォルトンに依拠し、フィクションの図像の場合、見る人は、メイクビリーブにおいてシャーロック・ホームズの絵であるふりをするのだとしている。
同様に、姿がもはやわからないような歴史的人物の絵の場合でも、メイクビリーブにおいて当該の人物(ex. キリスト)だと信じるふりをすることがある。


ちょっとおもしろいなと思ったのは、次の思考実験。
「ヘンリーの肖像画が数百年後に見つかったが、その時代にはヘンリーにたまたまよく似た子孫ヘンリー2世がいた。肖像画を発掘した人々はこの肖像画をヘンリー2世の肖像画として使うことにする」
Schierは、このケースでは、肖像画の指示対象が変わったのではなく、同じ物質からなる二つの異なる肖像画(ヘンリーの肖像画とヘンリー2世の肖像画)があると考えるべきだという。この論証があっているのかどうかはわからないが、おもしろい論点だと思った。