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Antti Kauppinen「意味があることと時間」

http://philpapers.org/rec/KAUMAT
Kauppinen, Antti (2012). Meaningfulness and Time. Philosophy and Phenomenological Research 84 (2):345-377.

人生の物語的構造と人生の意味に関する文献。人生の意味に関する文献だと「物語」はマジックワードになりがちだが、これは比較的つっこんで検討している。

  • 1. 時間にわたる福利
  • 2. 意味があることの概念と捉え方
  • 3. 人生の物語的形状
  • 4. 理想的に意味のある人生
    • 意味のあるプロジェクト
    • 意味のある関係
    • 意味のある人生
  • 5. 意味と深慮的価値
    • 意味とその他の価値
    • 深慮的価値についての全体説
    • 意味と理由

Vellmanは福利の時間構造を問題にしている。たとえ生涯にわたる福利の量が等しいとしても、前半が良くて後半悪くなる「下向き」の人生よりも、前半が悪くて後半が良い「上向き」の人生の方が全体として良いと主張した。Kauppinenはこれに対し、福利の時間配分だけではなく、前半はみじめだったが努力の結果幸せな人生を送るようになったなどのように、「努力」のようなファクターが関係すると主張する。これは快の形状だけではなく、人生の物語的形状の問題だ。どちらの人生により意味があるかが重要である。


人生に意味がある[meaningful]とはどういうことか。
Kauppinenは「意味がある」の意味を、「充足や敬意の感情にふさわしい」と捉える。意味がある人生とは、振り返って充足や敬意の感情を持つことが適切であるような人生である(価値論では、こういうのをfitting attitude analysisと言うらしい)。
一方、どうすれば充足や敬意にふさわしい意味のある人生を送れるのか。
Kauppinenは二つファクターをあげていて、ひとつは主観的な承認、もうひとつは客観的に価値のある目標である。主観的な自己への承認の感情があることと、客観的な価値の両方が必要であるとされる。


一方、この二つのファクターは人生の時間的広がりの中で具体的に展開されなければならない。Kauppinenはここで人生の物語的な構造を問題にする。
人生に意味があるためには、人生が適切な物語を構成しているのでなければならない(ここでいう「物語」はストーリーを語る言説ではなく、人生の実際の出来事の流れのこと)。
どういう物語ならいいかというと

  • a. 目標に、間主観的または客観的価値がある
  • b. 行為者は目標を自らのものとしており、置き換え不可能であり、それを追求するために本質的人間的能力を発揮する
  • c. 行為者は目標達成を成功し、それによってポジティブに変化する

要するに、客観的に価値のあるプロジェクトに取り組み、それに成功するという感じだ。
こういうプロジェクトが人生のそれぞれの「章」を構成し、個々の章が調和しつつ全体として結びつくのが意味のある人生だとされる。


感想:
物語の幅が狭い。ある種の典型を捉えているとは思うが、これだけが意味のある人生かと言われると、窮屈に感じる。
あと人生の各時点の福利については、そもそも総和説対物語的形状という構図に問題があって、どっちも間違っているのではないかと思っている。
あまり議論はできないが、例えば、ゴミみたいな目標を持っていて、それを追求する過程もただつらいだけで、その後の人生に何の得もなく、しかもほとんど努力ではなく運で達成できたみたいなケースでも、「とにかくこれが実現できればいい」みたいなこともあるのではないか。Kauppinen説だと、目標を達成する過程などが人生に意味を与えるのだが、本当に過程は重要なのか、それは転倒しているのではないかと思っている。
もちろんプラクティカルな生き方としては過程を楽しめる目標や客観的に価値のある目標を持っていた方が生きやすいと思うけれど、私たちは自分がどんな欲求を持つか選べるとはかぎらないので。
カテゴリカルな欲求というか、時に自己破壊的でもあるような、コントロールしづらい危険な欲求みたいなものがあって、そういうのと付き合うことが個々人の人生の特殊な価値を与えるのではないかとは思う。