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Ben Bradley, Kris McDaniel「死と欲望」

death

http://krmcdani.mysite.syr.edu/deadesir.pdf
Ben Bradley and Kris McDaniel, 2013. "Death and Desires", in James S. Taylor (ed.), The Metaphysics and Ethics of Death
The Metaphysics and Ethics of Death: New EssaysThe Metaphysics and Ethics of Death: New Essays

あいかわらずシャープな論文を書く人たち。
どうでもいいけど、2人ともThe 21st Century Monadsのメンバーだ。

  • 1. 条件なしの欲望としての定言的欲望
  • 2. 定言的欲望と死
  • 3. 選好としての定言的欲望
  • 4. 強い欲望としての定言的欲望
  • 5. 現実主義
  • 6. 結論

ウィリアムズの定言的欲望[categorical desire]の批判的解釈を試みるもの。三つくらいの解釈を試すが、どの解釈でもウィリアムズの元の議論がうまくいかないことを示す。ここでは一番ストレートな解釈だけに関心があるので、そこだけをまとめる。


まずウィリアムズの議論では、定言的欲望は、だいたい以下のように特徴づけられている。

  • 1. 定言的欲望は、当人が生きているかぎりという条件つきの欲望ではない。
  • 2. 定言的欲望だけが生きつづけることを動機づける。
  • 3. 定言的欲望を持たないかぎり、死は不幸ではない。
  • 4. 人間以外の動物などは定言的欲望を持たない。


欲望が条件つきであるとはどういうことか。
Bradley&McDanielは以下のように解釈している。
例えば、私が「明日の昼は冷やし中華を食べたい」という欲求を持つとする。ところが、次の日になってみると、腹の調子が悪く何も食べる気がしないので、食べなかった。この時、私の欲求はキャンセルされる。こういう場合、私の欲求は、腹の調子がよければという条件付きの欲求である。
一方、腹の調子はよく、さあ食べに行こうとしたら手持ちのお金が足りず、仕方なくカップラーメンで済ませたということもありえるだろう。この時、私の欲求はキャンセルされず、不充足となる。
定言的欲望は死によってキャンセルされない欲望だと考えられる。典型的には、「この仕事を終えるまでは死ねない」みたいなものが具体例にあたる。


ところがこの解釈では、ウィリアムズの2と3と4の特徴付けは成り立たない。ウィリアムズはおそらく、欲求のキャンセルは悪いことではないと仮定しているのだが、Bradley&McDanielはこの仮定を批判する。例えば、私が毎週ジャンプを読みたいという非定言的欲望を持っていたとしよう。私はジャンプを読むのを楽しみにしているが、「死んだらジャンプは読めない、それは仕方ない」ということは受け入れている。私の死によって私のジャンプ欲はキャンセルされる。
しかしこの場合であっても、死が私からジャンプを奪うのは不幸なことだし、私には死を避ける理由がある。死は、直接的に欲求を不充足にするわけではないが、それでも、悪いことではある。ここでBradley&McDanielはいわゆる死の害の剥奪説を前提していると思われる。ただし剥奪説がなくても、やっぱりキャンセルが悪いことであることを否定するのは難しいかもしれない。
また、上記の解釈のもとで動物が条件つきの欲望しか持たないのかどうかはあやしいので4も否定される。
つづけてBradley&McDanielはこれ以外の二つの解釈も試しているが、どれもうまくいかないとしている。


感想:
ウィリアムズの定言的欲望みたいなものがやっぱり大事なんじゃないかと思っていろいろ考えていたが、これに直接反論するのは難しい。欲望がキャンセルされず不充足になることはより悪いことだというくらいはBradley&McDanielも否定しなさそうではあるが。