Guy Kahane「われらの宇宙的無意味さ」

http://philpapers.org/rec/KAHOCI
Kahane, Guy (2013). Our Cosmic Insignificance. No〓s 47 (2):n/a-n/a.


目次

  • 無意味さとメタ倫理
  • 内在的価値からの議論
  • 重要性は価値と同じではない
  • 宇宙的重要性
  • 想定されたわれらの宇宙的無意味
  • 宇宙的視点から本当に私たちは見えないのか?
  • 本当は何が私たちの宇宙的重要性を決めるのか
  • もし私たちが孤独ならば
  • 考える葦
  • ラムジーの世界像
  • 私たちの外在的価値
  • 私たちに価値はあるか? 他のものに価値はあるか?
  • 私たちが存在することは重要か?
  • すみっこにいること
  • もし私たちが孤独でないならば
  • 私たちの個人的重要性
  • 結論

宇宙は大きい。空間的スケールでも時間的スケールでも。これは私たちの先祖が知らなかったことである。そして、しばしば宇宙の広大さによって、私たちは自分は取るに足らない存在であるという感覚を覚える。
この論文はこの「宇宙は大きいから、私たちは取るに足らない」という懸念を検討している。
Kahaneはこの懸念には答えることができ、私たちは実際には宇宙的に重要であると主張している。


Kahaneの議論はこういう感じだ。例えば、私が風邪で苦しんでいたとしよう。もし私の周りにたくさんのベッドがあり、他に重病人がたくさんいるならば、私の相対的な重要性は小さくなる。しかし、もし私が誰もいない部屋にいるなら、部屋の大きさは関係無い。部屋が四畳半でも、小学校の体育館くらいあっても関係無い。すごく広い部屋だから私の重要性が小さくなるなどということはまず無い。Kahaneはこの宇宙で私たちが置かれているのは、この誰もいない部屋のような状況だと言う。
(ちなみに、Kahaneはもし宇宙に知的生命体がたくさんいれば、私たちの重要性が小さくなるのは確かだろうと認めているので、以下は宇宙に知的生命体が他にいないとすれば…という前提)


前半はこの懸念は何を言っているのかを検討している。しばしば誤解されているが、この懸念は客観的な価値が存在するかどうかとは関係ない。なぜならば、宇宙の大きさと客観的な価値の有無には、明らかに何の関係も無いからである。「もし宇宙が半径1kmだったら客観的な価値が存在するのに」とは誰も思わないだろう。
Kahaneはこれは重要性の問題であると言う。重要性が何かは難しいが、重要性は価値だけでは決まらない。何かが重要であるとは、それを気にかけるべきであることを意味する。この点で、重要性には、価値だけではなく、その分布も関係する。ありふれた価値しか持たないものは、気にかけるべきではない。昔よく着た服とか、そりゃあちょっとは私にとって価値があるかもしれないが、そのレベルのものを全部とっておいたら部屋が狭くなる。


Kahaneによれば、宇宙の広大さによって失われるように見えるのは私たちの重要さである。宇宙は広く、私たちは小さいので気にかけるべき存在では無い。
しかしこれはおかしくて、基本的に宇宙は空っぽなので、それによって私たちの重要性は失われないというのが趣旨である。もし知的生命体が他にいないなら、私たちは(あるいは地球の生命は)宇宙で唯一の価値ある存在であり、まさに宇宙レベルの価値を持つ。

感想

Kahaneはどうも知的生命体が持っている内在的価値こそ価値のチャンピオンであり、それ以外のものをどれだけ集めてもこれにはかなわないと思っているらしい。
例えば、「宇宙には美しい渓谷や星がたくさんあり、それらは内在的価値を持つ」という反論に対し、美しい渓谷をたくさん集めたら私たちの価値を上回るというのはばかげた結論であると答えている。
しかし、宇宙には多少の価値あるものがあって、それは気にかけるべきものでもあるのは確かだろう。そうでないならば、宇宙開発や宇宙探索には何の意義もないことになってしまう。宇宙にはレアメタルや宝石や美しいものや知的な発見がたくさんあって、私たちはそれを多少は重要視しているし、実際そうするべきである。


美しい渓谷をたくさん集めても人間の価値に及ばないというのは、道徳的価値の面ではそうだというだけではないか。
例えば、宝石コレクションを持っている人が、以下のように考えるのはおかしくないだろう。
「宇宙にはすごくたくさんの宝石がある。半径1kmのダイヤモンドなどもあるだろう。それに比べれば私のコレクションは取るに足りない。いや、人類のコレクションはどれも取るに足りないのである」
少し発展させて、以下もおかしくはないように思う。
「宇宙は広く、美しい渓谷や宝石が山ほどある。その大量の美に比べれば、私が多少容姿をみがいても取るに足りない。いや、人類の美はどれも取るに足りないのである」
「宇宙にはたくさんのレアメタルがある。それに比べれば、私の仕事は大した価値を生み出していない。いや、人類の仕事はどれも取るに足りないのである」


Kahaneは道徳的価値では人間がナンバーワンだから私たちは重要なんだと言いたいようだけど、「私たちはもっとも道徳的に気にかけられるべき存在であるが、それ以外の面では大したことはない」ということになると、それなりに失われるものもあるのではないだろうか。
少なくとも「歴史を変えるような大きなことをしたい」とか「歴史を変えるような大きなことをした」という信念は失われるのではないか。