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Aaron Smuts「愛と自由意志」

http://philpapers.org/rec/SMUQAF
https://sites.google.com/site/asmuts/research/download-papers/Smuts_14_LoveAndFreeWill_v6_20140513.pdf?attredirects=0&d=1
Smuts, Aaron, Love and Free Will.

目次

  • 1. 序
  • 2. 愛と愛の関係
  • 3. 愛の贈り物
  • 4. オベイロンの心配
  • 5. 5つの愛のストーリー
  • 6. 愛の関係
  • 7. 結論


サイトにアップロードされていたドラフトを読んだ。自由意志がなくても人を愛せるかというすごいテーマを扱うもの。おもしろいけど、こんな益体もないこと考えていていいんだろうかと不安になる(いや、そんなこと言い出したら私が読んでるものはだいたいダメですが)。
人間に自由意志があるかないかの議論が膠着状態になっているせいか、最近こういう「もし自由意志が無かったとすれば、私たちは何を失い、何を変えねばならないのか」という議論がたまに見られる気がする。戸田山和久哲学入門』でも、ペレブームの「自由意志がなくても私たちの大切なものは大体守られる」という議論が紹介されていたのでちょっと有名になったかもしれない。もちろん自由の概念に何がかかっているかはそれ自体重要なテーマである。


Smutsは「愛の感情love-the-feeling」と「愛の関係loving-relationship」を分けていて、前者は自由意志とは関係無いが、ひょっとすると後者は自由意志を必要とするかもしれないと議論している。なおここで扱われるのは、愛一般の話も多少あるが主に恋愛[romantic love]の話だ。
愛の感情に自由意志が必要無いというのは、自由意志に必要とされる要件、自己のコントロールや自由な選択というもの自体があまり愛と相性がよくないからだ。「恋に落ちる」というように、通常私たちは愛することを意志によって選択するわけではないし、愛の感情が芽生えるかどうかはコントロールされるものではない。もちろん中にはそういう人もいるかもしれないが、少なくとも愛全般に選択が必要だという話にはならないだろう。


ただし、以下のような反論がありえる。

  • 1. 惚れ薬などによって生じた愛は価値ある愛ではない。
  • 2. これは惚れ薬が私たちから選択を奪うためだと考えられる。
  • 3. 従って自由意志によらない愛には価値が無い。

Smutsはいくつかおもしろい事例を考案していて、例えば、誰が誰を愛するかを完全にキューピッドが決定する世界は(人々が自然に愛し合う世界と比べて)望ましい世界ではないとしている。


ただSmutsは前提の2を否定していて、惚れ薬などのケースで問題になるのは真正性[authenticity]であって、自由ではないと反論する。
これを示すために以下のような思考実験が持ち出される。

ラブザック
あなたの恋人はあなたを愛したがっているが、どうしても愛することができない。そこで恋人はあなたを愛するためにラブザックという惚れ薬を毎日服用する。

もし人間に自由意志があるならば、これは完全に自分の意志に従って愛を選択しているケースだが、この愛も望ましくない愛であるように思える。惚れ薬の問題点は、自由意志が無いことではなく、愛が自分の中から自然に生じたものではないこと、つまり真正性の欠如にあると考えられる。そしてこの意味での真正性は自由意志とは関係無さそうだ。
(正直私にはラブザックのケースに関してそこまで強い直観は無いが。あまり幸せではなさそうだとは思うが、そこまでしてくれるならいいんじゃんと思わないでもない)


以上は愛の感情が自由意志によらないことを示すかもしれないが、これを愛の関係にまで適用することはできない。例えば愛し合っていても結婚するとはかぎらないし、自分の欲求や感情に従うかどうか、それによってどういう関係を構築するのかは結局自分の選択の問題である。
だから、もし人間に自由意志が無ければ私たちは価値ある愛の関係を失なうかもしれない。ただSmutsはそこについてそれほどはっきりした結論はないと言っている。例えば「自分の感情に素直になる薬」みたいなものがあったとして、それを飲んで元々愛し合っていた二人が結婚したら、愛の関係の望ましさが失なわれるかというと微妙なところだ。失なわれないと言う人もいるだろう。

コメントなど

Smutsがあげている事例でおもしろいのは、以下のようなものだった(ちょっとディティールを変えた)。

伝説の木
伝説の木の下で愛を誓い合うと二人の愛は永遠になる。元々愛し合っていた太郎と花子は伝説の木の下で愛を誓い合い、二人の関係は安定したものとなった。

こういうケースは、惚れ薬で愛情が生まれるのとは違って、望ましくない愛であるように思えない。これは元々真正の愛があったからだとも考えられるし、まあ本当は問題があるかもしれないがよくわからない(Smutsもあまりはっきり言ってはいない)。
伝説の木の下で愛を誓い合うカップルみたいなのはいっぱいいるだろうが、それはおまじない程度のものだからいいんであって、もし本物の伝説の木があった時にそんなものに感情を左右されるのは恐ろしいことかもしれない。