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人生の意味

最近は人生の意味に関するものを読んでいる。まとめをさぼっていたら読んだものがたまってしまった。
人生の意味に関しては、文献はたくさんあるのだが、人生の意味ということでどういうことを考えているかが人によって結構違うのでなかなか大変だ。あと言い放しだったりほとんどまとめる気が無さそうな文献が多くてつらい。

まずMetzのサーベイを読んだ。非常に有名なやつで大量の文献をきれいに整理している。人生の意味に関しては宗教的な内容のものも多いのだが、その辺がざくざくまとめられていくのがおもしろい。上は80年代から2001年まで、下は2002年から2006年までの文献をまとめている。


メッツは人生の意味に関する立場を以下のように分類している。

  • 自然主義。人生の意味を得るには科学を越えたものが必要(そんなものは無いので人生に意味はないという立場もここに分類される)。
    • 神説。神がいなければ人生の意味は無い。
    • 魂説。不死の魂がなければ人生の意味は無い。
  • 自然主義。神なき世界にも人生の意味はある。
    • 主観説。満足のような主観的態度だけで人生の意味がえられる。
    • 客観説。人生の意味を得るには、客観的に価値あることをしなければならない。
    • 混合説。人生の意味には主観と客観の両方が必要である。


とりあえず現時点で私が持っているおおまかな見取り図を描いておこう。
わりと重要なのは、いかなる人生にも意味は無いというニヒリズムの議論だ。人生の意味に対するニヒリズムは認識論における懐疑論くらい重要なもので、それにどう答えるかでその後の立場が変わってくる。
ニヒリズムの議論は無数にあるが、代表的なのは「どのような人生を送っても、宇宙の寿命から見れば一瞬ですべては消え去り、何の違いももたらさないのだから、何をする意味も無い」とか、「神がいない世界には客観的価値も追及すべき目的も無い」とかいったものである。ニヒリズム的な議論が何を言っているかは直観的にはわかるが、直観的にしかわからないし、実際はどういう議論なのかについてもあまり統一見解が無いので、これらの議論の再構成もかなり大変である。
自然主義は、神や不死の魂がなければ人生に意味は無いと主張するから、ニヒリズムをある程度真剣に受け止めることはこの立場にとって重要である。この立場の人は、死後の世界があって天国で善人は報いられるとか、魂が永遠の至福を得るとか、神が私たちを認めてくれるとか、そういうことがないと人生に意味は無いと言う。ただし、神や魂がなければ人生には何の意味も無いというのは常識に反する強い主張なので、そこの擁護は大変である。また、反対に、神がいても人生には意味がないという、より強いニヒリズムの主張とも対決しないといけない。


一方、人生の意味を福利(幸福)から区別することも重要になる。自己犠牲のケースのように、苦難の人生だが意味ある人生だったということもあるからだ。むしろ、私たちが意味ある人生と呼びたくなるのは、幸福を犠牲にしても何かに一生を捧げたというケースが典型だろう。
主観説は、この区別に困難を抱える。主観説では、満足のような主観的態度だけで人生の意味が得られるとする。この場合、楽しく遊んで暮らした一生でも、経験機械の中でバーチャルな満足を得ても、意味ある人生になりうるため、福利との区別は曖昧になる。しかも、福利論で主観説をとる人たちは客観的な価値を人生の意味に押し付ける傾向にある。例えば、経験機械の中でバーチャルな喜びを体験しつつ、現実にはみじめであるとき、失われるのは、幸福ではなく人生の意味であるという人たちがいる。この場合(この手の論者は客観的価値に懐疑的な傾向にあるので、皮肉なことであるが)、人生の意味に関しては客観説をとらざるを得ない。


他方で客観説は、客観的価値に関するありとあらゆる問題を背負うことになる。例えば、客観説では、多くの人を救うとか、偉大な作品を作るとか、偉大な発見をするとか、客観的に価値あることをすれば、意味のある人生を送れることになる。しかし、客観的価値などそもそもあるのかとか、客観的価値とは何かとか、複数の種類の価値をどうやって比較するのかといった問題を説明しなければならない。基本的には、福利論において客観説が抱える問題をそのまますべて抱え込む形になる。
しかし、主観説だと福利との区別が本当に難しくなるので、客観説か混合説が一応穏当な説なのだろうという気はした。

以下読んだものの一行紹介

神がいなければ人生は無意味だということがひたすら書いてある。議論はあまり深くはないが(ほとんど直観をそのまま述べただけ)、超自然主義の典型的な議論がどういうものかよくわかる。
以下のブログ(英語)でCraigの4つの議論が簡潔にまとめられている。


以下も読んだ。

人生の意味に対するニヒリズムを否定している。宇宙的な視点から見れば何をしても無駄であるという主張を否定し、人生を評価する時は、人間的な視点で評価しなければならないという立場を擁護している。
まあまあおもしろかったが、ニヒリズムの議論の再構成にあまり納得がいかない。


以下も読んだ。

人生の意味に関する客観説を擁護している。価値ある結果をもたらせば意味のある人生になるというシンプルな立場を取っている。いろいろな問題はあるが、これが無難な立場のような気もする。客観説をとりたくなる動機はよく理解できた。
主要な議論は、映画の「素晴らしき哉、人生!」を例にあげるもので、人は意味ある人生を送っていても、それに気づかずにいることがあると主張している。この映画では(未見)、何と天使が現れて、「君がいなければこの町はひどいことになっていた。君の人生には意味があった」と教えてくれるらしい。
私たちは何しろ意味ある人生を送っていてもそれに気づかずに絶望したりするので、主観的な満足などはほとんど人生の意味とは関係ないという純粋な客観説をとっている。