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[emotion]ノエル・キャロル「恐怖への恐怖: ハロウィンの哲学」



http://philpapers.org/rec/CARTFO-21
Carroll, Noël (2006). The fear of fear itself: The philosophy of halloween. In Richard Greene & K. Silem Mohammed (eds.), The Undead and Philosophy. Open Court. 223--36.
Zombies, Vampires, and Philosophy: New Life for the Undead (Popular Culture and Philosophy)Zombies, Vampires, and Philosophy: New Life for the Undead (Popular Culture and Philosophy)

画像はアイドルマスターSideMから。みちおちゃんも言ってる通り、まずは恐怖の哲学からはじめよう。
(どうでもいいけど、みちおちゃんがここで何を読むつもりだったのか気になるね)

私は季節感とかイベントとかを大事にしてるので、ハロウィンにはハロウィンの哲学の論文を読む。内容はただのエッセイみたいな感じだったが、そもそもハロウィンに関する哲学論文はこれ一本しか無い(と思う)のでわれわれに選択肢はない。


ここでのキャロルの問いはこういうものだ。「人はなぜわざわざ死を想起させるような怖い格好でハロウィンを祝うのか」(ハロウィンのパラドックス)。そもそもなぜ死を祝う祝祭があるのか。
ハイデガーによれば死は不安の源泉で、私たちはそこから一生懸命逃げているはずなのに、わざわざ死体の格好をするイベントがあるのはおかしいだろうと。
もちろんこれは「なぜホラー映画を観るのか」などと同じ問題だが、キャロルはそれも含めて議論している。
よくある説明は精神分析的なもので、キャロルはアーネスト・ジョーンズという人の説明を批判している。ジョーンズ説によれば、モンスターの表象は抑圧された近親相姦の欲望などが現れたものであり、男根のメタファーとかそういうのだ。
キャロルは、ドラキュラなどは性的な感じだからこういう説もわからないでもないが、ゾンビとか性欲と何の関係もないだろうと批判している。もちろんそれも抑圧された欲望であるという反論も可能だが、これは精神分析の理論全体を受け入れないととても受け入れられないようなタイプの説明であり、コストが大きすぎる。


一方、キャロル自身の説明は、ホラーやハロウィンは、恐怖の感情を統御する機会を与えるというものだ。フィクションでは実際の危険なしに恐怖を学ぶことができるため、フィクションの恐怖に接することで、私たちは感情の統御を学ぶ。
つまり、「恐怖への恐怖」、恐怖の感情をコントロールできないという恐怖が、ハロウィンを含むホラー的な表象に接する理由になっている。


キャロルはホラーの哲学に関する著作もあるので、きっとそこにつながる問いなのだろう。
The Philosophy of HorrorThe Philosophy of Horror