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Kit Fine「非存在者の問題」

http://philpapers.org/rec/FINTPO-3
Fine, Kit (1982). The problem of non-existents. Topoi 1 (1-2):97-140.

2段組で44ページあって大変だったが読んだ。大変だったが読んでよかったなと思えた論文。
非存在者とは、フィクショナルキャラクターや神話や誤った科学に現れる対象。ここでFineは対象であること(指示、述定、量化されるものであること)と、日常的な意味で「存在する」ことを区別していて、「存在しない」対象もあることを認めている。これはマイノング主義的な立場と言っていいだろう。この辺についてほとんど議論はしてないけど。普通のマイノング主義者と違って、非存在者は人間が作ったものだと言ってるので、あまり標準的ではない。
Fineは非存在者に関する論点を三つあげている。この整理は非常によいものだと思った。

  • プラトニズム - 経験主義
  • リテラリズム - 文脈主義
  • 内在主義 - 外在主義

プラトニズムによれば非存在者は人間の活動から独立した対象であり、経験主義によればそれは人が作り出す対象である。
リテラリズムは、ホームズのようなキャラクターは、フィクション(より一般的には「文脈」)の中で与えられる性質を文字通りに持つという立場。つまり、ホームズは文字通りに人であり、探偵であり、ロンドンに住んでいるようなものである。一方文脈主義によれば、ホームズはそれらの性質を「お話の中で持つ」にすぎない。ほんとは別に人間とか探偵とかではない。
内在主義によれば、ホームズは、人である、探偵であるなどなどといったお話の中での性質によって個別化される。二つの非存在者が同一であるのはそれがまったく同じフィクション内的性質をもつときである。一方、外在主義によれば、非存在者は、フィクション内的な性質(だけ)によって個別化されるわけではない。非存在者を個別化するのは指示の因果連鎖や話者の意図などである。


Fine自身は経験主義、文脈主義、外在主義の組み合わせがよいと言っている。
ちなみに、この論文は、サブタイトルに「1. 内在主義」とある。上のような立場を擁護するための三部作のパート1だったようなのだが、どうも続編は書かれていないようだ。なので、この論文では、Fine自身の立場は最小限触れられているだけで、大半は内在主義の定式化と批判になっている。
ちなみに途中の部分は包括原理(任意の性質に対しそれをフィクショナルに持つ対象が存在する)によってどういうパラドックスが生じるか、防ぐにはどうすればいいかという話題を延々とやっていて、ここが大変だった……。形式理論としてはおもしろいところだと思うけれど。


ちなみに、あまり他の人は触れていないが、外在主義対内在主義、リテラリズム対文脈主義の対立はとても重要なもので、実際は外在主義+文脈主義を認めるだけで、非存在者に対する古典的な批判の大半には答えられることに注意しよう。ここは、抽象的人工物説および様相的マイノング主義が同意できる点だと思う。ここはあまり理解されていないとしばしば感じる。


例えば、「矛盾した対象が存在することになってしまう」という批判。外在主義+文脈主義をとる論者にとってこの批判はほとんど意味をなさない。この立場の人は、シャーロック・ホームズというものが対象であること、およびそれはいろいろな小説や人間の想像や信念の中で様々に表象されることを認める。さらに、その表象の中には矛盾したものもあることも認めてもいいだろう。しかし、この立場の人は、キャラクターがお話の中で持つ性質を文字通りの意味で持つとは認めていない。さらにそれらの性質はキャラクターを個別化するものですらない。現実に矛盾した性質を持つものがあったら困るかもしれないが、お話の中で矛盾した性質を持つものがあることに何の問題があるのか。
イメージで語るけど、この捉え方だと、キャラクターってただの無特徴の「点」みたいなもので、それ自体で何かの性質を持っているわけではない。いろんな人がそれについていろんなことを「言っている」ないし「表象している」というだけ。指示による個別化の条件があるだけで、あとの内容はフリー。そうは言っても完全にフリーではないだろというのはその通りだけど、キャラクターの表象に対する実質的な制約は、指示に対する慣習とか制度とか実践の中で決まるもので、一般的に言えるようなものではない。


一方、内在主義、つまりホームズは探偵である、人であるなどの性質によって個別化されるという立場はひょっとすると前理論的には直観に訴える部分があるのかもしれないが(個人的にはそう感じたことは一度もないが)、いろんな問題があるし、修正を繰り返す内に日常的な同一性の基準とほとんど何の関係もない立場になるので正直まったくおすすめできない。