ノエル・キャロル『映画の哲学』の「メディアの固有性」

The Philosophy of Motion Pictures (Foundations of the Philosophy of the Arts)The Philosophy of Motion Pictures (Foundations of the Philosophy of the Arts)

分析美学ブックガイドで紹介されていたので読んでみた。

私たちは時々「この映画は、映画にしかできないことをやっている。だから素晴らしいんだ」といったことを言う。反対に「この作品は、映画じゃなくてもできるようなことしかしていないから、よくない」ということもある。

映画というメディアの特殊性が何かというのも難しいが、例えばカメラワークや映像の編集は映画固有のものだろう。カメラは自動的に目の前の光景を記録するだけのものではない。カメラワークや撮影や編集に技巧の余地があるからこそ、映画は芸術の一種たりえるのだと言われることもある(ちなみにこの本でキャロルもそういう議論をしている)。

メディアの固有性の主張

その作品のメディアに固有な特徴に関してよい作品は、そうでない作品よりも芸術的に優れている。

キャロルは、上記のような主張をメディアの固有性と呼び、これに反対している。

メディアの固有性は、人気のある主張だが、強い形で受け取るとかなり変だ。例えば、明らかにメディア固有的でない素晴らしい作品がある。キャロルは、チャプリンがパントマイムをする場面を例としてあげ、これは舞台でもできることであり、映画でなくてもいいが、素晴らしい場面だとしている。

あと、メディア固有性が正しいとすると、ストーリーとか、セリフとか、音楽とか、映画固有でない要素は、映画の価値をほとんど高めないことになってしまう。ストーリーや音楽がどれだけ素晴らしくても、映画的な要素が優れていない作品は、映画的な要素が優れた作品より劣った作品であることになってしまうからだ。また、そもそもメディアというのは道具であって、メディアが目的になるのは変なのではないかと。

さらに、映画に関してメディアの固有性が強調されてきたのは、映画が出てきた当初は新しいメディアで、「映画なんて芸術じゃない」という声から守る必要があったからではないかと指摘されていた。これはまあそうなのだろうという気もする。

感想

キャロルは、メディア固有性の主張をかなり強くとった上で(メディア固有の要素が優れた作品は、そうでない作品よりつねによい)、これに反対している。しかしもう少し弱い解釈もありえるような気はするので、それも見てみたくはあった。