Kripke「真理の理論のアウトライン」

http://philpapers.org/rec/KRIOOA
Kripke, Saul A. (1975). Outline of a theory of truth. Journal of Philosophy 72 (19):690-716.


ちょっと前に出た論文集に入っている。
Philosophical Troubles: Collected PapersPhilosophical Troubles: Collected Papers


新年一発目は信念のパズルにしようと思っていたのだけど(新年だけに)、先にこっちを読んでしまったので感想。
特に自分がやっていることと関係はないのだが、真理論の古典であり、さすがにおもしろかった。
ただ、わたしにはこれを正確にまとめられる自信はあまりないが、ざっくりと。


嘘つきパラドックスというものがある。例えば以下のような文は真でも偽でもありえない。真だとすれば偽だし、偽だとすれば真だから。

この文は偽である。

しかし、重要なことに、パラドックスを起こす文は上のようなわかりやすいものだけとはかぎらない。真とか偽とかいった言葉を含む発話は常にパラドックスを引き起こす危険がある。例えば、経験的事実を調べた結果、以下の二つの発言からパラドックスが起きるかもしれない(ジョーンズがニクソンの甥であり、ニクソンの発話がウォーターゲート事件に関するものであった場合)。

ジョーンズ「ウォーターゲート事件に関してニクソンが言ったことはすべて間違っている」
ニクソン「私の甥はいつも正しいことを言う」

真理の理論は、このリスクが常にあることを認めるものでなければならない。ちょっとおもしろい談話を紹介していて、ラッセルは「ムーアは真しか言わない」と言っていたとか。一方それをムーアが否定すると、「はじめて偽なことを言った」と返した。しかしもしムーアが真なことしか言ってなかったとすると、ムーアの発言はパラドックスになる。クリプキによると、ラッセルでもパラドックスを回避できないのだから、他の誰にもできないだろうと。


なお、嘘つきパラドックスの伝統的な解決はタルスキのように、言語の階層を認めるもの。対象言語における「真である」という述語と、メタ言語における「真である」という述語を区別する。これで自己言及的な嘘付き文は作れなくなる。
しかしこのような階層を自然言語であてにすることはできない。上のような発話をする時、ジョーンズやニクソンは、自分が今何階層目の「真である」「偽である」を使っているのかどうやって知ればいいのか。


一方、パラドックスを回避するために真理値ギャップを認めるような立場もある。とりあえず単純には「この文は真である」や「この文は偽である」に真理値を割り振らないようにすればいいのだけど、もう少し複雑なものがあるので次のようにする。まず、文を指示する名辞があるとき、その名辞をたどっていって、「真である」や「偽である」を含まない文にたどりつくならば、それは基底的であると呼ばれる。「真である」「偽である」を含む文同士の間で循環するならば、それは基底的ではない。基本的には、基底的な文には真理値を割り振って、そうでないものには真理値を割り振らないという風にすればいい(正確にいうと「この文は真である」は真にしてもいいのだけど)。
クリプキが提案している理論はざっくりと次のようなもの。
真理述語を含まない対象言語、およびその対象言語に真理述語を付加したメタ言語、およびそのメタ言語に真理述語を付加したメタメタ言語という言語の階層を考えていく。なおこの階層は、上のような制約を満たし、パラドックスを起こす文には真理値を割り振らない。
さらに、この言語の階層の不動点を取る。不動点の存在は一般的に証明できるので、それ以上のメタ言語を考えても真理述語の解釈が変化しなくなるようなポイントが必ずある(らしい)。


まあだいたい以上。不動点を使うのかーなるほどーと思いましたまる。