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キット・ファインのパーソンズ対象論の批判

以下を読んだ。キット・ファインのパーソンズ対象論の批判がおもしろいので軽くまとめておく。
http://philpapers.org/rec/FINCRO
Fine, Kit (1984). Critical review of Parsons' non-existent objects. Philosophical Studies 45 (1):95-142.
ちなみにキット・ファインは80年代にマイノング主義に関する二つの論文を書いている。以下の方がページをとって議論しているけど、一般的な話になっていて、上はパーソンズの体系にそって議論している。この二本の論文とてもおもしろいのだけど、マイノング主義者にすらあまり読まれている気配がない……。
http://philpapers.org/rec/FINTPO-3


ファインはテクニカルな批判から哲学的な批判、些細な批判も大きな批判もいろいろやっているが、ここではひとつだけテクニカルな批判を紹介する。
マイノング主義者であるパーソンズの対象論では、任意の条件を満たす性質の集まりに対して一つの(存在しない)対象がある。これは包括原理をフルに認めるので、本当に任意の条件を満たす性質の集まりが非存在対象を構成する。
例えば、黄金の山は〈黄金〉、〈山〉という性質の集まりであり、非存在だが対象ではある。この立場では、「黄金の山は黄金である」は真である。
ただし、これだと、「存在する黄金の山」は存在するということも認めないといけなくなる。それはまずいので、核性質という無害な性質と、核外性質という特別な性質を分ける。対象を構成できるのは核性質だけだ。ただし、核外性質の希釈版核性質も用意されている。
例えば、存在する黄金の山は〈存在'〉、〈黄金〉、〈山〉という性質の集まりで、この核性質版の〈存在'〉は本当の存在とは区別される。


パーソンズの体系では、上のような仕方で、性質によって対象が個別化されることになっている。しかし、実は本当にこれができているかどうかは怪しい。パーソンズは性質に関する包括原理と対象に関する包括原理をフルに認めるので、いろいろと厄介な帰結がある。
(ちなみに、性質と対象、核性質と核外性質が双対になるのがおもしろいところ)

核性質に対する任意の条件について、その条件を満たす核性質だけを持つ対象がある。

対象に対する任意の条件について、その条件を満たす対象だけが持つ核外性質(関係)がある。


以下、任意の性質に対して、その核性質を返す希釈化関数をwとしよう(以下「性質」といった場合は核性質と核外性質の両方を含める)。
性質全体をπとすると、核性質全体はw(π)、対象はw(π)のべきである。しかし、性質に関する包括原理からは、性質から対象への一対一の関数はないことが導かれる。そのような関数f(x)があると仮定して矛盾を導こう。f(x)は例えば「xだけが持つ性質」。一方性質に関する包括原理から、任意の対象についてf(x)でない性質があることが帰結する。例えば、「いかなるxもこの性質だけを持つことはない性質」が存在する。しかしこれはf(x)の定義と矛盾する。よって、f(x)はない。
もちろん、パーソンズの体系では「いかなるxもこの性質だけを持つことはない性質」だけを持つ非存在対象も(核性質としてなら)認められる。しかしこれが意味するのは、核外性質を核性質に希釈する関数が一対一ではないということだ。


どういうことかというと、以下のような二つの性質が存在する。
ある性質P, Qについて、P≠Qだが、w(P)=w(Q)。従って、w(P)だけからなる対象と、w(Q)だけからなる対象は等しい。
PとQは別の性質であるにもかかわらず、なぜかPからなる対象とQからなる対象を区別できない。
つまり、対象を性質の集まりで個別化していると見せかけて、実は性質と核性質が一対一で対応しない。核性質につぶした時点でサイズが小さくなってしまい、性質によって核性質を個別化することはできない。そうなると、対象を核性質の集まりとして個別化するというのは一体何をやっていることになるのかよくわからない。


なお、対象に関する包括原理もあるので、対象から性質への一対一の関数もない。
例えば、ある対象aとbについて、a≠bだが、〈aと同一である〉という核性質と〈bと同一である〉という核性質は同一である。
上と合わせて、核性質というのがいったい何に対応するどのような存在なのかよくわからないことになってしまう。