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Hayaki Reina「抽象的対象としてのフィクショナルキャラクター: 問題点」

fiction

http://philpapers.org/rec/HAYFCA
Hayaki, Reina (2009). Fictional Characters as Abstract Objects: Some Questions. American Philosophical Quarterly 46 (2):141 - 149.

抽象的人工物説とは、フィクショナルキャラクターを、人間の「創作物」として扱う立場。これによれば、キャラクターは、法や料理のレシピや会社などと同じ文化的人工物である。
(これはいわゆる「抽象者」ではないので、「抽象的人工物」っていうのは、よくないかなと思う昨今だが、とりあえず抽象者で通す)
抽象的人工物説は、フィクションに関する問題の多くにとても自然な回答を与える。しかし、いくつか問題点があって、これは問題点についてよくまとまっていた。


とりあえず、キャラクター名が常に人工物を指示するとする。この場合、1は1' を含意する。ホームズという抽象物xが存在し、原作によればxは探偵であり、事件を解決する。この場合、2のような実在の人物名の使用と、1のようなキャラクター名の使用はまったく同様に分析される。フィクションは実在の人物について嘘を書くのと同様に、抽象物であるキャラクターについても嘘を書く。
しかもフィクション作品は、キャラクターについてもものすごい嘘をつく。抽象者が人間であり、探偵であり、事件を解決したと書いているからだ。この分析によれば、キャラクターに対する作品上の言説は大規模かつ根底的に誤っている。
人によってはこれは反直観的に響くらしく、フィクション作品上の名前は、抽象的人工物を指示しないという人もいる。しかし、この方針には問題があって、1'のような分析を認めないと、創作物であるホームズと、作品に登場するホームズがおおよそ何の関係もないものになってしまう。創作物としてのホームズというアイデアを理解しようとするなら、原作がそれについて語っているものだと理解するしかないのではないか。たとえ、原作がそれについて誤ったことしか言ってないのだとしても。


一方、「ホームズ」が常に抽象的人工物を指示すると認めたとしよう。その場合も4を4'のように受け取ることはできない。原作がそれについて語っている、私立探偵は存在しないからだ。4'は偽であり、4における「ついてabout」は存在する二つのものの関係ではないと言わなければならない。
一方、3と5の「ついてabout」は、関係的なものとして理解できるかもしれない。原作は存在するビクトリア女王および存在する抽象者ホームズについて書いているからだ。しかし「ついて」に関して、斉一的な分析ができないことは問題かもしれない。


なお、4の「ついて」を関係的に理解するためには、かなりラディカルなことを言わないといけない。聡明な私立探偵ホームズがどこかの(不)可能世界におり、原作はそれについて語っていると考えなければならない。これは、可能世界とそこの住人を単なる形式的な道具立てとしてではなく、文字通りの「実在」と考えないと無理な立場である。


なお、以下も読んだ。以下は前者の点、フィクション作品は抽象者としてのキャラクターを表象しているという点について、何とか自然な解釈を与えようとしている。私も、表象についての考え方しだいではそんなに変ではないと思う。
Manning, Luke (2014). Real Representation of Fictional Objects. Journal of Aesthetics and Art Cricitism 72 (1):13-24.
http://philpapers.org/rec/MANRRO