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Dilip Ninan「意味論と主張の対象」

semantics

http://philpapers.org/rec/NINSAT
Ninan, Dilip (2010). Semantics and the objects of assertion. Linguistics and Philosophy 33 (5):355-380.

これはちょっと難しかった。

  • 1. 序
  • 2. カプラン、ルイス、「内容」
  • 3. インデックスと認識様相
    • 3.1 伝統的文脈主義の問題
    • 3.2 シフト可能文脈主義
  • 4. 外延的意味論と主張の対象
  • 5. サマリー

以下の2つのドグマなるものに反対している。

第一のドグマ
ある意味理論のインデックスがパラメーターX(世界、時間、'判断'など)を含むならば、その意味理論によって、主張の対象はXに応じて真理値を変えることが帰結する。
第二のドグマ
ある意味理論のインデックスがパラメーターXを含まないならば、その意味理論によって、主張の対象がXに応じて真理値を変えないことが帰結する。

カプラン的な意味論だと、発話の内容(命題)には元々2つの役割がある。主張の対象という意味での主張内容と、再帰的に真理値を決定する合成的な内容だ。その2つを区別しようと提案している。

第一のドグマ

とりあえず文脈主義が抱える問題を見よう。

サムはボストンにいるかもしれない。

文脈主義では、上のような認識様相の表現はだいたい以下のように分析される。「かもしれない」は「私」や「今」のような指標詞に近いふるまいをすると想定される。話し手が知っていることと矛盾しない可能世界で、pが真ならば「pかもしれない」は真である。

話し手が知っていることと矛盾しない、ある可能世界wがあり、「サムはボストンにいる」はwで真である。

ところが、よく知られているように、このアプローチは志向動詞の扱いに困難を抱える。

ジョンは、サムはボストンにいるかもしれないと思っている。

上の分析だと以下のようになる。

話し手が知っていることと矛盾しない、ある可能世界wがあり、「サムはボストンにいる」はwで真であるとジョンは思っている。

しかしこの分析はまちがっている。上の文はこのようなことを意味しない。上の文は、ジョンの知識状態に関わることを述べているのであり、話し手の知識状態に左右されない。
この問題を解決するため、「隠れた変数」アプローチなどが提案されている。このアプローチでは、「かもしれない」は話し手の知識状態ではなく、文脈上関連する人xの知識と矛盾しないことを意味するものとされる。文脈上関連する人は普通は話し手だが、志向動詞のスコープ内にあらわれる場合などは態度の保持者になる。ところがこの「隠れた変数」アプローチにも問題がある。詳しくは紹介しないが、普通の変数の場合と違って、この種の文脈依存性にはそれほど自由度がないからだ。
一方、意味論的相対主義者は、「pかもしれない」は人中立的な内容を表現しており、〈可能世界, 時点, 人〉の3つのインデックスによって真理値が決まると考える。「サムはボストンにいるかもしれない」は現在のメアリーの知識のもとでは偽だが、現在のジョンの知識のもとでは真である等々。一方、志向動詞は、人-インデックスをシフトさせる働きがある。


Ninanさんは、相対主義者からの批判を一部受け入れ、「かもしれない」の合成的内容は、人中立的であると認めてしまうというアプローチを提案している。ただし、主張の内容は別だ。主張の内容は、文脈主義者の言う通り、ある事柄が話し手の知識状態と矛盾しないという内容だと考えようというわけだ。

第二のドグマ

後半では、反対に、インデックスに時点が含まれていないとしても、主張の内容は時点中立的なものでありえるとしている。近年の言語学では、時制や様相を、伝統的な内包的手法ではなく、外延的手法で扱うことが多くなっている(らしい)。例えば、「エリオットは踊った」は発話の時点以前のある時点に、エリオットが踊る場合に真である等々。
これがプライアーのような、時点中立的な内容を想定する時制主義の批判になるとする人たちもいるが、そうではない。「エリオットは踊った」は時点x以前のある時点に、エリオットが踊る場合に真であるという時点中立的な内容を表現していると考えてもいいからだ。意味理論の実装上は、単にラムダ束縛をひとつ増やせばいい。