読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

趣味述語/美的述語の意味論

一部で微妙に盛り上がっている「個人的趣味述語[predicate of personal taste]」の意味論。
これは「たのしい」「うれしい」「おいしい」などといった述語の意味論を扱う。
まとめておきたかったのでよく参照されるものをまとめる。趣味述語と関係ない相対主義の文献は入れていない。


だいたい2001年以降くらいから相対主義の意味論とともに盛り上がり、ちょこちょこ論文が書かれている。伝統的にはこういう「主観的」語には真理条件がないとされてきたが、その辺でうまいことやるために相対主義の意味論が導入される。


このムーブメントの特徴

  • 議論の中心は相対主義を巡るものである。多くの論者は相対主義者か、その批判者である。
  • 相対主義の意味論は、カプランの二重指標意味論(二次元意味論)を発展させたものである。
    • 趣味述語の場合「趣味」が、(可能世界や時点のように)真理評価のインデックス(評価環境)に置かれる。大雑把に言うと「趣味Aで真」のように、真理評価が趣味に相対化される。
    • 一部の論者は真理を趣味に相対化するだけで満足するが(非指標的文脈主義)、一部の論者はさらに発話の真理が査定感応的であることを認める。前者だと真理は「誰が言ったか」によって異なり、後者だと真理は「誰が聞いたか」によっても異なる。
  • 多くの論者はde se内容やスタルネイカー型の二次元意味論のような技法も使う。
  • レカナティのような人たち(状況意味論系の人たち?)とも近い立場ではあるが、一応違う伝統に属する。

また、現状ほとんどの論者が扱っているのは「おいしい」「たのしい」など個人的趣味に限定され、「美しい」のようなシリアスに美学的な述語はまだあまり手をつけられていない。Louise McNally&Isidora Stojanovicが指摘しているように、言語哲学者は美学の領域に踏み込むことにはまだ躊躇している。


ちなみにこういう動きは分析哲学ではそこまでめずらしくはなく、言語哲学から出てきた文脈主義のような立場が認識論で広く浸透した例もある。
倫理の領域だと、Niko Kolodny & John MacFarlaneのIfs and Oughtsのような先駆者がおり、これはそれまで言語哲学で研究されてきた認識様相などの意味論を使って、理由に関するメタ倫理学上の問題を解決してみせた。こういうのが出てくると一気に盛り上がるのだろうと思うが、まだそういうインパクトのある仕事はない気がする。

ちなみにJames Young (ed.)The Semantics of Aesthetic JudgementsというのがOxford University Pressから出版予定らしい(先ほどのLouise McNally&Isidora Stojanovicもこれに入る)。これが出るともっと美学と意味論というテーマで議論が盛り上がるかもしれない。盛り上がるといいな。

文献リスト