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John W. Bender「敏感性、感性、美的実在論」

Bender, John W. (2001). Sensitivity, sensibility, and aesthetic realism. Journal of Aesthetics and Art Criticism 59 (1):73-83.
http://philpapers.org/rec/BENSSA-2

  • 1. 感性、基準、スーパーヴィーニエンス
  • 2. 真の味覚(嗅覚)と知覚敏感性
  • 3. 敏感性の現象学
  • 4. 敏感性の認識論
  • 5. 「ワインは芸術でない」反論
  • 6. 結論

レヴィンソンの美的実在論に反論する論文。
美的実在論に対するよくある反論として不一致の存在に訴えるものがある。人の間には、何がよい絵か、何がおいしいワインかなどなどに関して深刻な不一致がある。もし美的実在論が正しいのであれば、これら美的判断のうち、多くのものはまちがっている(少なくとも不一致している片側はまちがっている)。これは少なくともありそうにない。
ところがレヴィンソンは美的性質を評価的性質と記述的性質にわけた上で、実在論的な美は記述的性質にあるとする。たとえば良いか悪いかは趣味の問題かもしれないが、繊細であるとか派手であるとかいった性質は世界のある側面を記述している。


著者によればこれもおかしい。著者はまず感性[sensibility]と敏感性[sensitivity]をわけている。著者の定義によれば、

感性[sensibility]
ある特徴を美的に重要なものとして同定する傾向のこと。
敏感性[sensitivity]
ある特徴や量に反応する能力のこと。

例えば、甘さをより高く評価するのは感性、甘さを見分ける知覚能力は敏感性。それぞれ評価的なものと記述的なものに対応する特性として捉えられている。
そして著者によれば、感性だけではなく、敏感性からも深刻な不一致が生じうる。
たとえば太郎と次郎がいて、太郎の方が酸味に敏感であるとしよう。太郎はあるワインを「すっぱすぎる」と評価する。次郎は「酸味は気にならず、さっぱりしている」と評価する。このケースでも不一致は生じる。
レヴィンソンは敏感性のちがいは調整されうるとするが、それは敏感性のちがいを過少評価するものだ。敏感性も人によって大いに異なるため、実在論者の考えるように、美的性質が対象の物理的性質にスーパーヴィーンすると考えるべきではない。

感想

認知的なものと美的なものの関係は最近よく考えているが難しい。
たとえば色を識別する錐体細胞の種類は人によって異なり、多くの人は3つだが、色盲の人は2種類しかなかったりするらしい。あと4種類もっている人などもいて、より細かく色を見分けられたりするのだそうだ。しかし、おそらく識別できる色が異なれば「派手だ」とか「カラフルだ」といった美的性質の知覚も異なるだろう。
ところがその場合、いずれかが識別する美的性質のみが「正しい」対象の性質であることは疑わしいかもしれない。仮により細かく識別できる方だけが正しい美的性質を知覚するとしよう。ところが、錐体細胞が10個くらいあって、地球人よりはるかに細かく色を識別できる宇宙生物も考えうるだろう。その場合、この宇宙生物が知覚するものだけが正しい美であることになってしまうかもしれない。