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Steinar Bøyum「哲学的経験の概念」

yum, Steinar (2008). The concept of philosophical experience. Metaphilosophy 39 (3):265–281.
http://philpapers.org/rec/BYUTCO

目次

  • 例をいくつか
  • 美的主張
  • 二次的意味
  • 哲学的経験の訓育

著者によれば、宗教的経験というのがあるように哲学的経験もある。ここではその哲学的経験なるアイデアを検討している。これは、たたき台としてはおもしろいアイデアのように思った。

ここで言う哲学的経験というのは次のようなもの。
哲学者はいろいろなことを言う。例えば、私たちは日常的に知っていると思っていることのほとんどを実は知らないかもしれないとか、他人に心はないかもしれないとか、存在するのは現在あるものだけで過去や未来のものはないかもしれないとか。
一方、こういう哲学的テーゼについて、私たちはときに、「あ、説としては知っていたけれど、今はじめてその気持ちがわかった」などと言うことがあると思う。著者が哲学的経験と呼ぶのは、この「気持ちがわかる」経験のこと。
具体例としては、懐疑論に対する「まるで監獄にとらわれたような感じ」「突き通せないベールがある感じ」とか、「物自体をビンビン感じる」みたいなものがあがっていた。


著者は哲学的経験を、カントのいう美的経験のようなものだとしている。それは客観的な真偽があるわけでもないが、純粋に主観的なものでもなく、美的経験のように普遍妥当性を求める。哲学的経験を言語化することは共感を求める。また、著者はウィトゲンシュタインの二次的意味というアイデアにも訴えているが、これは「まるで監獄にとらわれたような感じ」のように、日常的な使用から離れて、感覚を伝えるために言語を比喩として使用することだ。また、哲学的経験を育てることが哲学教育にも役立つだろうという話がなされている。
いわゆる哲学的直観とはどう違うのかといった話もほしい気がしたが、そこは触れられていなかった。