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Gregory Currie「想像における欲求」

http://philpapers.org/rec/CURDII
Currie, Gregory (2002). Desire in imagination. In Tamar S. Gendler & John Hawthorne (eds.), Conceivability and Possibility. Oxford University Press 201-221.

Conceivability and PossibilityConceivability and Possibility

目次

  • 1. 想像のモード
  • 2. なぜ信念的想像は信念の一種ではないのか?
  • 3. 想像と欲求
  • 4. 仮定

普通の想像は「信念的想像belief-like imagination」と呼ばれる。なぜ信念的と言われるかというと、推論関係の保存など、信念によく似た特徴が見られるからだ。例えば、私たちは「ホームズはロンドンに住んでいる」という想像と、「ロンドンはイギリスの一部だ」という信念から、「ホームズはイギリスに住んでいる」という新たな想像にたどりつくことができる。
一方カリーはこの論文で、信念ではなく欲求に対応する想像、つまり「欲求的想像desire-like imagination」というものもあると提案している。信念は欲求と結びつくことによって行為を動機づける。それと同じように信念的想像は、欲求的想像と結びつくことで、想像の中で、その状況でするだろう行為を動機づける。なぜこれが必要かというと、しばしば想像された状況で私たちは現実にはもっていない欲求を望むからだ。

想像的欲求は、現実 - の - 想像に対する欲求とは異なる。例えば、物語の想像の中では登場人物が救われてほしいと思っていても、現実には悲劇を楽しんでいることもある(悲劇のパラドックス)。
また、想像という単一の心理状態があり、その中に「想像の中で信じること」「想像の中で欲求すること」が含まれているという提案にもカリーは反対している。なぜならこういう風に考えると、あらゆる想像に「私は信じるI believe」「私は望むI desire」という自己概念の適用が含まれていることになってしまうからだ。「誰も知らない場所で岩が崩れていく」という想像も可能だが、これを「誰も知らない場所で岩が崩れていくと私が信じている」と想像しているという矛盾した想像だと捉えるのは変だ。この場合私は単に、「誰も知らない場所で岩が崩れていく」と(信念的)想像しているだけだ。
カリーの提案は、信念的想像と欲求的想像は異なるふたつの態度だと考えた方がいいだろうというものだ。