エドガー・アラン・ポー「アッシャー家の崩壊」

気軽に読んだ小説の感想などをもっと書いていきたいと思ったので書いていこう。

『「幽霊屋敷」の文化史』という本を読んでいたら、ポーの「アッシャー家の崩壊」の話が出てきて、そう言えば読んだ記憶がないなと思ったので読んだ。

「幽霊屋敷」の文化史 (講談社現代新書)

「幽霊屋敷」の文化史 (講談社現代新書)

はじめは青空文庫版のやつで読んだのだが、古い訳で読みにくいし、何かよくわからない話だなと思ったので、下記の訳で読み直したら結構おもしろかった。

「アッシャー家の崩壊」は、とにかく不気味な雰囲気はあるが、何だかよくわからない話で、『「幽霊屋敷」の文化史』でも、「終末のカタストロフに向かって物語が進展するあいだ、これといって何も起こらない」と言われている(p.99)。

しかし、順を追って見ていくと、この短篇は

  1. 無生物も意識をもつかもしれないという話と、アッシャー家の不気味な屋敷がまるで意志をもっていたようであったという話があり、
  2. アッシャー家の屋敷と、代々の子孫には不思議な精神のリンクがあったという話があり、
  3. 当代のアッシャーは精神の緊張の限界にきていたという話があり、
  4. 最後に、陰惨な事件のため、アッシャーの精神に限界がきた。その結果何が起こったか?

という話になっている。繰り返し挿入される「観念が具体物にやどる」というエピソードも含め、ポーは、汎心論めいた「物に心がやどる」テーマに関心があったのだなと伺われる。ちょっとわかりにくいのは、最後の陰惨な事件がただの事故なので、ちょっと拍子抜けしてしまうが、それはあくまでアッシャーの精神が崩壊をきたすきっかけとなった事件で、あまり本題ではなかったのかもしれない(読み直したらそのことに気がついた)。

個人的におもしろいなと思ったのは無機物もまた意識をもつかもしれないという話の箇所で、権威づけのため、当時の科学文献がひかれたりしていて、結構SFチックな内容になっている(ポーがこの小説で使っているアトモスフィアという概念も、当時の科学文献からとったのではないか、という指摘は『「幽霊屋敷」の文化史』でも触れられていた)。この辺をもっとふくらませれば、普通に現代でもSF短篇として通用しそうな話ではある。

アントン・フォード「行為と一般性」

Ford, Anton (2011). Action and generality. In Anton Ford, Jennifer Hornsby & Frederick Stoutland (eds.), Essays on Anscombe's Intention. Harvard University Press.

この論文では、「行為は定義できない」という立場——より正確には「行為は、単なる出来事 + Xとしては定義できない」という立場——をアンスコムに帰属させ、その立場を擁護している*1

前半では、概念の定義として、「類 + 種差」というタイプの定義が可能になるカテゴリーと、そうではないカテゴリーがあるという話をしている。

例えば、わし鼻は、くぼんだ鼻、つまり「鼻 + くぼんでいる」として定義できる。しかし、これが可能なのは、〈くぼんでいる〉という特徴が、鼻概念とは独立した偶有的特性だからだ。〈くぼんでいる〉という特徴は鼻以外のものに例化されることもあり、鼻概念とは独立に理解可能である。

だが、この種の定義が不可能なカテゴリーもある。例えば赤は色の一種であるが、赤を「色 + X」として非循環的な形で定義することはできない。〈単なる色〉に何らかの条件を付け加えることで赤を定義するのは困難に思われる。例えば、「人間に赤さの経験を引き起こす色」といった定義はできるかもしれないが、これは循環している。同様に、馬は動物の一種であるが、馬を「動物 + X」として定義するのは難しそうだ。伝統的にはもちろん「馬は四足の動物である」といった定義はあるが、これはあまりうまくいっているようには見えない。

同様に、行為というカテゴリーは、出来事の一種かもしれないが、「単なる出来事」というカテゴリーに何らかの偶有的特性を付け加えて、行為というカテゴリーを定義することはできないと著者は主張する。

そのために著者が持ち出すのが「ヒュームの循環」という事態だ。ヒュームの循環は、ヒュームとはそれほど関係ないのだが*2、〈ある行為Xを遂行するための構成的条件にXの概念を持つことが含まれる〉という事態のことだ。例えば、約束、結婚といった行為についてはこれが成り立つように思われる。一般的には、約束するひとは、すでに約束とは何かを知っているのでなければならない。少なくとも、約束という制度が成り立つための構成的条件のひとつには、関係者が約束概念をもっているということが含まれるように思われる。

もちろん、厳密に言うと、約束とは何かをあまりわかっていないまま、約束をするひとがいる可能性はあるのだが、少なくとも〈健全な約束〉や〈約束の典型例〉に話をかぎれば、約束するひとはすでに約束の概念をもっているはずだ。

以上のような循環は約束という概念の定義を困難にする。そして、行為の一種である約束を定義することが困難なのであれば、行為一般というカテゴリーも定義できないのだと著者は主張する。

感想

著者は、〈行為の下位カテゴリーの中にヒュームの循環が成立するものがあるなら、行為一般にもヒュームの循環が成り立つ〉という風に考えているように思われるのだが、ちょっとそこの流れがどういう理屈なのかあまり再構成できなかった。該当箇所の訳を載せておく。

もし行為の本質的種のうちのひとつにおいて、行為者が自分が何をしているのか知っており、かつそれが行為であり、単なる出来事ではないと知っているのであれば、約束の場合のように、〈行為者は自分がその行為を遂行する者だと知っている〉ということが、行為それ自体の本質に属する——ゆえに、行為にも、ヒュームの循環が成立する。 If one essential species of action is the action whose agent knows what she is doing, and that it is an action and not a mere event, then it belongs to the nature of action as such, as it does to that of a promise, that the agent of it knows she is the agent of it—so that action, too, gives rise to a Humean Circle.

あと、ヒュームの循環があると定義が困難になるというのはわかるのだが、定義が不可能になると言われると、そこまで言えるだろうか?というのは疑問(わたし自身は特に強い意見があるわけではないのだが)。例えば、芸術作品というカテゴリーについて、ここでいうヒュームの循環が成立することは多くの芸術哲学者が認めることだと思う(芸術作品を作るにはすでに芸術作品の概念をもっていなければならない)。

しかし、だからと言って芸術作品の定義が不可能だと思われているかと言うと、一般にそういう風には理解されておらず、「だから、制度や慣習を組み込んだ定義を立てなければならないのだ」という風に理解されていると思う。

ただし、これがアンスコムの立場なのだと言われれば納得感はある。例えば、芸術哲学で言えば、モーリス・ワイツウィトゲンシュタインの影響のもとで、芸術作品について似たようなことを述べているし、ピーター・ウィンチも(行為に関して)同じようなことを言っていた。だから、上記のような立場は、当時アンスコムウィトゲンシュタインの影響を受けたひとびとには広く共有されていた考え方だったのかもしれない。

あと、もうひとつ気になったのは、どちらかと言うと、なぜ上記のようなことを主張したいのか、これが言えると何がうれしいのかというがわからなかったので、もう少しそこが知りたいなと思った。

*1:著者は、意図的行為は定義できないという話もしているが省略。

*2:ヒュームがある箇所で「良いことをするためにはまず何が良いことなのか知っていなければならない」という趣旨のことを言っているらしい。

ヴィクター・ラヴァル『ブラック・トムのバラード』

たまに読んだ小説の感想を書こうと思う。

本作は、ラブクラフトの短篇小説「レッド・フックの怪」(または「レッド・フックの恐怖」)を語り直したもの。ノヴェラ(中編小説)にあたるのだろうか。それほど長い作品ではない。よく知られているように、ラブクラフト自身は人種差別主義的な思想をもった人物であり、作品にも時々そのような思想が顔をのぞかせることがある。本作の元となった「レッド・フックの怪」もそのひとつで、移民、外国人、有色人種などが忌しい存在と関わり、怪しい魔術を操るひとびととして描かれる。一方、本作は、自身も黒人であるヴィクター・ラヴァルがその「レッド・フックの怪」をトミーという黒人少年の視点から書き直している*1

以上のような本作のスタンスは「相反するすべての思いをこめて、H・P・ラヴクラフトに捧げる」という献辞にもよく表われている。本作はラブクラフトにリスペクトを捧げつつ、その人種差別的な部分を含め、換骨奪胎する試みなのである。

一般的には、以上のような本作のスタンスが興味をひくところなのかなと思うし、わたし自身もそれで興味をもったのだが、読んだ感想としては、むしろラブクラフト的な作風とうまく距離をとっている点が印象に残った。ラブクラフトっぽい描写やガジェットもそれなりに出てくるのだが、いわゆる「ラブクラフトっぽい作品」とはかなり違っている。

ここで言う、いわゆる「ラブクラフトっぽい作品」というのは、(a)はじめは懐疑的な語り手が少しずつ忌しいものに近づいていき、(b)それとともに精神に変調をきたし、(c)最終的にはやばいものに直面して、呪文のような謎の言葉(イアイア!とか)を吐いて死ぬなどの特徴をもった作品のことだ。この直前に読んだスティーヴン・キングの短篇(「呪われた村〈ジェルサレムズ・ロット〉」(『ナイトシフト1深夜勤務』収録)がもろにこれだったのだが、『ブラック・トムのバラード』これとはかなり違っている。本作はラブクラフト作品を下敷にしつつ、いわゆるベタなラブクラフト風を避けているのだ*2

具体的にどう違っているかというと、本作はむしろ近年の「ニュー・ウィアード」と呼ばれるジャンルに近い(近いというかニュー・ウィアードに分類されるような気がする)。ニュー・ウィアードの正確な定義はわたしも知らないし、本当に合意があるかどうかも微妙なのだが、一般的には、チャイナ・ミエヴィルとかジェフ・ヴァンダミアなどの小説に見られるようなファンタジーとSFとホラーを混ぜたような作風の小説をそう呼ぶのだと思う(多分)。本作のどこがニュー・ウィアードっぽいのか、言語化するのは難しいのだが、(a)魔法などが当り前に存在する世界観、(b)魔法のルールなどがファンタジーの定石を外してくる感じ、などはニュー・ウィアードっぽい。単にミエヴィルっぽいという説もあるが、少なくとも、ミエヴィル以後のファンタジー、ホラー、SFを取り混ぜた雰囲気をよく取り入れていて、それがうまいことラブクラフト成分を相殺している。もちろん、ファンタジー、ホラー、SFを境界横断的に書く作風と言えば、そもそものラブクラフト当人がまさにそのような作風であるし、実際ラブクラフトはニュー・ウィアードの祖のひとりとされることもあるようだが、一般的には、「名状しがたい」「忌しい」「クトゥルフ」などのイメージが強すぎて、それが見えにくくなっている。それに対し、本作は、テーマ上も、作風上も、新しい方向からラブクラフトにアプローチすることで、ラブクラフト作品のポテンシャルまで鮮烈に見せてくれたように思った。

*1:ちなみに「レッド・フックの怪」は『ラヴクラフト全集 5』に収録されている他、オーディオブック版も出ている。オーディオブック版は余計な効果音が入っているが、ラブクラフトはオーディオで聞くとめちゃくちゃおもしろいのでおすすめ。

*2:念のため注記しておくが、別にベタなやつも嫌いではない。

今年のベスト的な

読書メーターで読んだ本、kinenoteで観た映画を記録しているので、振り返って印象に残ったものを記載してみる。大半は2019年に作られたものではない。

全滅領域 (サザーン・リーチ1)

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叛逆航路 (創元SF文庫)

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ワンダーブック 図解 奇想小説創作全書

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ゼロから作るDeep Learning ―Pythonで学ぶディープラーニングの理論と実装

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嘘と貪欲―西欧中世の商業・商人観―

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理由 (朝日文庫)

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わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

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Only Imagine: Fiction, Interpretation and Imagination (English Edition)

Only Imagine: Fiction, Interpretation and Imagination (English Edition)

  • 大きな変化として、読む本の半分くらいがオーディオブックになった。家で本を読む時間があまりないので移動中に聞けるオーディオブックばかり消化されていく。リストで言うと宮部みゆきオルハン・パムクはオーディオブック版があったから読んだ。書籍だと難しい感じの本もオーディオブックだとすっと入ってくる(ことがある)のでうれしい。
  • 去年から引きつづきの傾向だが、ノワール、犯罪小説を良く読むようになった。映画もノワールものばかり見ている。リストには入っていないが、チャンドラーのフィリップ・マーロウシリーズを一通り読んだのも今年だったと思う(主要作は去年読んだので入れなかった)。
  • それ以外では『叛逆航路』の三部作と『全滅領域』の三部作には特に影響を受けたと思う。特にヴァンダミアの方はすっかりファンになって『ワンダーブック』も一生懸命読んだ。

映画

スパイダーマン:スパイダーバース (字幕版)

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  • 発売日: 2019/06/26
  • メディア: Prime Video

回路

回路

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

リング

リング

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

霊的ボリシェヴィキ

霊的ボリシェヴィキ

  • 発売日: 2019/06/05
  • メディア: Prime Video

バニー・レイクは行方不明 (字幕版)

バニー・レイクは行方不明 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

上海から来た女 (字幕版)

上海から来た女 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

  • 去年は50-60年代のSF映画をよく観ていたが今年は飽きてきたのかノワールをよく観るようになった。どうでもいいやつもいっぱい観たのだが、『バニー・レイクは行方不明』と『上海から来た女』はオールタイムベスト級。『上海から来た女』は原作小説も買った。
  • 改めてあげるとノワールとJホラーばっかりだった。積極的にホラーを観たつもりはなかったが、印象に残ったものをあげるとこの辺だった。『リング』はなんで今さらという感じだが、『回路』と『霊的ボルシェヴィキ』を入れたのでバランス的に入れようと思った(実は『回路』より『降霊』の方が好きなのだが、『降霊』を観たのは今年だっけ? 去年だっけ? 『降霊』はめっちゃ恐い上にストーリーとしてはノワールなのでよく考えたら『降霊』の方がバランスがよかったかもしれない)。

The Cambridge History of Philosophy, 1945–2015が出た

以前から予告されており、個人的に待望していた The Cambridge History of Philosophy, 1945–2015 がいつのまにか出ていたので紹介。と言ってもまだ読んでいないどころか買ってもいない(今月はもう本を買わないことにしているので12月になるまで買うのも我慢している)。目次と周辺情報だけの紹介だ。

この論文集はタイトル通り、哲学史の論文集だ。1945年から2015年、つまり第二次世界大戦後の期間を扱っている。近現代の哲学史だ。

詳しい目次については出版社Cambridge University Pressのサイトを参照されたい。

https://www.cambridge.org/core/books/cambridge-history-of-philosophy-19452015/8781B55721CCC1971722C3BDD00FFFDB

パート1は分析哲学、パート2は大陸哲学、パート3は両者の比較や接点を扱うという構成になっている。パート1は主に分析哲学の歴史だが、この中では「行為の哲学」「心の哲学」「ゲティア以後の認識論」「分析美学と芸術哲学」など、戦後の分析哲学のさまざまな分野を扱った論文が一通りそろっている。私の知っている項目で言えば「行為の哲学」の項はMaria Alvarez, John Hyman、「分析美学と芸術哲学」はStephen Daviesが書いており、執筆陣もなかなか豪華だ。近現代を扱うだけあって、哲学史研究者ではなく第一線の哲学の研究者が歴史を書くという形になっているのが独特かもしれない(The Oxford Handbook of The History of Analytic Philosophy もその辺は似ているが)。

分析哲学史を含む近現代の哲学史は近年改めて研究が進んでおり、ここ数年だけでもいくつも論文集が出版されている。なんとなくの印象だが、近現代の哲学史、特に最近の分析哲学史は、テキスト解釈ベースの古典的な哲学史の方法論だけではなく、科学史や文化史に近い歴史的な研究方法を取り入れたものが多く、昔ながらの哲学史 とはかなりイメージが違うタイプの研究も増えているようには感じている。

前シリーズにあたる The Cambridge History of Philosophy, 1870-1945 もある程度読んだが、20世紀哲学史は、明らかに重要であるにもかかわらずまだ全然研究されていない謎の領域もたくさんあって楽しい分野だ。近い時代であればあるほど、「教科書的な歴史」を真に受けてしまいがちだが、「教科書的な歴史」はちょっと調べると簡単に崩壊するので、簡単に知的衝撃を味わうことができる。

The Cambridge History of Philosophy 1870?1945

The Cambridge History of Philosophy 1870?1945

ついでに紹介しておくと、The Cambridge History of Philosophy, 1945–2015 と扱う時代が近いのは2013年に出版された The Oxford Handbook of The History of Analytic Philosophy だ。こちらは本書と違って分析哲学史限定だが、分析哲学史に関しては扱っている分野はかなり重なっている。例えば、分析美学の項目は、The Cambridge History of Philosophy はStephen Daviesが書いているが、The Oxford Handbook の方では Peter Lamarqueが書いている。両者を読み比べてみるのも楽しそうだ。

The Oxford Handbook of the History of Analytic Philosophy (Oxford Handbooks)

The Oxford Handbook of the History of Analytic Philosophy (Oxford Handbooks)

『アーカイブ騎士団011 会計SF小説集』(第二十九回文学フリマ東京)

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会計SF小説

追記: kindle版も出ています

第二十九文学フリマ東京に参加します。新刊『会計SF小説集』が出ます。小説アンソロジーです。

項目 内容
開催日 2019年11月24日(日)
場所 東京流通センター 第一展示場
サークル アーカイブ騎士団
ブース ク-15
Webカタログ https://c.bunfree.net/c/tokyo29/!/%E3%82%AF/15

サークル過去作はこちら

会計SFとは何かについて一応説明しておくと、SFはサイエンスとテクノロジーの文学であり、会計はテクノロジーなので、会計についてのSFも存在するというわけです。存在するというか、この本の出版によって創設されました。

以下掲載作の一行紹介と本文サンプル。これ以外にも短篇と、日商簿記2級受験記が載ります。

「簿記とAI」高田敦史

本文サンプル

この小説を書くために簿記2級を取りました。唯一2級を取得しているので私が一番会計に詳しいはずです。貿易商とロボットが、敵対的生成ネットワーク(GAN)と複式簿記に関する陰謀に巻き込まれる。

「サイボーグは冷たい帳簿の中に」森川真

本文サンプル

巨大造船所で繰り広げられる簿記バトル。

「複式墓地」渡辺公暁

本文サンプル

命の簿記。

スタンフォード哲学事典のデータでword2vec

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自然言語処理の領域で近年注目されている技術にword2vecというのがあります。

今日は、夏休みの自由研究として、スタンフォード哲学事典のデータを使って、word2vecを作ってみたいと思います。

人文系の領域でコンピューターを使った研究は、最近デジタル・ヒューマニティーズなどと呼ばれてちょっと流行しているようです。私もデジタル・ヒューマニティーズやってみたいので、手始めにとりあえずやってみます。といっても今回の試みは遊びみたいなものですが、コードと手順は残しておくので、もっと本格的な研究のとっかかりになればと思います。

コードと手順は以下に残してあります。

ちなみに、デジタル・ヒューマニティーズにおけるword2vecの応用については、以下の記事を参考にしました。

Vector Space Models for the Digital Humanities

ただし、今回は「作る」ことがメインで、その先の「研究」の部分はほとんど何もしていません。

word2vecとは

word2vec自体の解説はちょっと大変なのでかなりスキップします。各自検索などして調べてください。

元論文はこちらです(元論文はあまり詳細を説明してくれていない)。

大雑把に言うと、単語の意味情報を反映した高次元のベクトル(単語ベクトル)を作る技術です。以下のように、学習元のテキストに現われる単語を、高次元(だいたい100次元から600次元くらい)のベクトルに変換します。その際、このベクトルにうまく意味情報を反映させます。

"kant" => [1.0, 0.0, 1.1, ...]
"hegel" => [0.0, 1.0, 2.0, ...]

うまく意味情報を反映させるとどうなるかというと、似た単語はベクトル空間の中で近い位置にきます。語同士の(コーパス内の・ある観点での)類似性関係を多次元空間にマッピングしていると考えればいいと思います。

また、うまく意味情報を反映させた結果、「アナロジー」と呼ばれる謎の演算ができるようになります。これは元々制作者が意図したものではないようですが、なぜかできるようになったらしいです。

# (ベルリン - ドイツ) + フランス = パリ
(v['berin'] - v['germany']) + v['france']
=> 'paris'

「ベルリン - ドイツ」ってなんだよって感じですが、気持ちとしては、ベルリンからドイツをマイナスすると首都成分になり、「首都成分 + フランス」がパリになると。

この結果はわりとインパクトがあったようですが、今ひとつ根拠が不透明なのと、やっても頓珍漢な結果が返ってくることも多いのでアレです。

まあアナロジーはおまけみたいなもので、word2vecの本来の用途を考えると、文書の分類・検索のために使用するという方が正道のような気もします。

余談 + 背景解説を少しだけ

ちなみに、word2vecは作り方がちょっとおもしろくて、ある課題を解くニューラルネットワークを学習させて、その結果は使用せず、学習したパラメーターだけをベクトルとして使います。湯葉を作るために豆腐を作って、豆腐は捨てて湯葉だけ使うみたいな感じですね。

あと、個人的な関心で一点だけ。私は言語学史に少し興味があるのですが、実はword2vecや埋め込み単語モデルで使用されている語の意味についての考え方は、チョムスキー以前のアメリ構造主義言語学の発想に近いんですね。それはどういうものかというと、「同じような文の同じような位置に現われる語は意味が似ている」という発想です。

x はドイツの哲学者である

「カント」「ヘーゲル」という語はどちらも、上のような文のXの位置に現われる確率が高いと想定されます。もちろん学習元のデータにもよりますが、「ドイツ」「哲学者」などの単語と共起する確率が高くなるはずです。

この例だと少しわかりにくいかもしれませんが、同義語(たとえば「独身者」と「結婚していない人」)の場合であれば、出現する位置はほぼ同じになるはずです。この手法では、以上のように、共起に関する特性が近い場合に、「意味が近い」と見なします*1

実を言うと、これは構造主義言語学で「分布分析(distributional analysis)」と呼ばれていたものとほぼ同じ考え方です*2。実際、たまに参照されることはあるようで、facebookの研究者が書いた論文で、チョムスキーの師匠であるゼリッグ・ハリスの50年代の論文が参照されているのを見つけてびっくりしました。

分布分析は、行動主義が強かった時代の産物で、その後認知科学側に立つチョムスキーなどが批判したイメージがあったのですが、大規模データが使えるようになると復活してくるというのはちょっとおもしろいですね。

手順

Google Colaboratoryという便利なものがあるので、実行はすべてその上でやっていきます。こちらにあるノートのセルを1つずつ実行していくだけで、実行できる算段です(編集不可にしてあるので実行したい場合はコピーしてください)。Colaboratoryの使い方は各自調べてください。

クローラーはすでに作ったものがあるので、そちらを使って、スタンフォード哲学事典(SEP)の全記事をダウンロードします。ここが一番時間のかかる作業で、90分くらいかかります。現在全記事で1124件あるようです。

あわせて、解析しやすいように加工してあります。ドットやカンマをとりのぞき、1文1行ずつ切り出しておきます。全データで60万行程度ありました。

例.

in the philosophical literature the term abduction is used in two related but different senses
in both senses the term refers to some form of explanatory reasoning

ダウンロードが終わったら、gemsimというライブラリを使って学習させます。とりあえず300次元で学習させます。ここは数分で終わりました。

sentences = LineSentence('/content/sep_crawl/data/sep/sep-entries.txt')
w2v = Word2Vec(sentences, size=300)

"kant" の類似語を表示させます。解析用にすべて小文字にしてあるので人名も小文字です。ヘーゲル、ヒューム、フィヒテなどが類似語として出てきました。

print(w2v.wv.most_similar_cosmul(positive=["kant"], topn=3))
# => [('hegel', 0.8737826943397522), ('hume', 0.8399000763893127), ('fichte', 0.8334291577339172)]

良さそうです。

可視化

せっかく作ったので、少し語彙空間を探索してみましょう。まず、カントからはじめて、類似語をちょっとずつ増やしながら集めてみます。

terms = ['kant']
clusters = [0]
n = 5
for i in range(15):
  result = w2v.wv.most_similar_cosmul(positive=terms, topn=n)
  terms += [r[0] for r in result]
  clusters += [i + 1] * n
vectors = np.vstack([w2v.wv[t] for t in terms])

# >= ['kant', 'hegel', 'hume', 'fichte', 'spinoza', 'maimon', ...]

2次元に圧縮して可視化します。

tsne = TSNE(n_components=2, perplexity=50.0)
matrix = np.vstack(vectors)
v2d = tsne.fit_transform(matrix)
x = v2d[:, 0]
y = v2d[:, 1]
plt.figure(figsize=(12, 10))
s = plt.scatter(x, y, c=clusters, cmap='viridis')
plt.colorbar(s)
plt.grid(True)
for i, n in enumerate(terms):
  plt.annotate(n, xy=(x[i], y[i]),
                     xytext=(5, 2),
                     textcoords='offset points',
                     ha='right',
                     va='bottom')
plt.show()

f:id:at_akada:20190817133854p:plain

いえーい、できました。カントの近くに、ヘーゲルフィヒテシェリングなどがいて、見えにくいですが、遠くの方にトルストイやステビングがいますね。色は、カントから何ステップで到達したかを表わしていて、色が薄くなるほど遠いです。また、平面上の距離も大まかには語同士の「遠さ」を表わしているはず。

次に、x軸をカントとの類似度、y軸をマルクスとの類似度にして可視化してみます。なぜマルクスかというと、傾向がはっきりしていておもしろかったからです。

score0 = [w2v.wv.similarity('kant', w) for w in terms]
score1 = [w2v.wv.similarity('marx', w) for w in terms]
plt.figure(figsize=(9, 9))
plt.xlabel('kant')
plt.ylabel('marx')
plt.grid(True)

s = plt.scatter(score0, score1, c=clusters, cmap='viridis')
for i, n in enumerate(terms):
  plt.annotate(n, xy=(score0[i], score1[i]),
                     xytext=(5, 2),
                     textcoords='offset points',
                     ha='right',
                     va='bottom')
plt.show()

f:id:at_akada:20190817170406p:plain
カント度・マルクス

フーコー、ホルクハイマー、ヘーゲルの「マルクス度」が高いですね。一方、ヒュームやライプニッツマルクスから遠く、カントには近いようです。

もうちょっといろいろできそうですが、今日のところはこんなもので。

*1:よく読めばわかると思いますが、「共起しやすい」=「意味が近い」ではないことに注意。「同じような語をともないやすい」=「意味が近い」です。

*2:哲学系の人であれば、クワインの「2つのドグマ」における同義性概念の批判を思い出すかもしれません。クワインが分布分析について知っていたかどうかはよくわからないのですが、少なくともクワインが批判した考えと分布分析はよく似ていると思います。