Images (New Problems of Philosophy)
この前に出版された『画像について』は研究書だが、こちらは教科書を意図して書かれた本。学部生向けくらいなのか、文章が平易で読みやすいのでこちらを先に読むべきかもしれない。各章の要約と「さらに学ぶための文献案内」もついていて親切。
とりあえず6章「写実性と非写実性」を読んだ。
- 6 写実性と非写実性
- 6.1 表象の方法
- 6.2 内容の写実性
- 6.3 描き方の写実性
- 6.4 変わった描き方
- 6.5 種類の写実性
- 6.7 図像に特殊な写実性
まとめようと思ったらmatsunagaさんが先にまとめていたのでまとめません。
おもしろいなと思ったのは、われわれは図像の一部から表象的意味を剥奪することがある。例えば、対象と関係ない色が塗ってあると、色を図像内容の一部と見なさなくなる。しかしそのようにして表象的意味を剥奪された図像の表面的特徴が、(表象から解放されているがゆえに)雰囲気や感情の表現になることがあるという指摘。
例えば、漫画のベタフラッシュなどはこうした効果を担っているように思う。
→google:ベタフラッシュ
こういう表現は記号とも、通常の図像表現とも違っており、半図像表現ともいうべきおもしろい効果を持っているような気がする。
追記: 2014/04/22
再読したところ、Kulvickiがあげている複数の写実性の関係が少し整理できたのでまとめておく。
まず内容の写実性(情報の量)と描き方の写実性(正確性)は、相補的にひとつの写実性概念を形づくるような関係にある。Kulvickiによれば、正確でなければ写実的ではないため、正確性は写実性に関する1/0の判断を構成する。一方情報の量は、写実性の程度にかかわる。両者は、正確でなければ写実的ではなく、情報の量が多ければその分だけ写実性の程度が増すという関係にある。これについてはLopesやAbellも比較的似た立場であると言えるだろう。
一方、種類の写実性は、まったく違う写実性の概念を捉えようとしている。これは、図像の表象システムにおいて、特定の統語論要素が無視されることがあるという点に着目した概念だ。例えば、白黒写真では色という要素は無視される。統語論的要素を無視することで、図像の表象システムは種類の写実性を犠牲にすることになる。
これはおそらく「図像の多様性」論文で問題にされていた、図像システムの多様性にかかわる概念なのだろう。