Aaron Meskin, Roy T. Cook, Warren Ellis『マンガのアート: 哲学的アプローチ』

The Art of Comics: A Philosophical Approach (New Directions in Aesthetics)The Art of Comics: A Philosophical Approach (New Directions in Aesthetics)


マンガ[comic]の哲学のアンソロジー。少し前から断片的に読んでいる。マンガの哲学と言っても、多くの人にとってはそんなものあるのかという感じだろうが、現在はだいたいどのアートジャンルについても哲学的(美学的)研究がある。ただマンガの哲学は、まだ相当手さぐり感が強い。
完全に余談だが、英語のマンガ研究でおもしろいのはスコット・マクラウドというマンガ家がマンガで描いたマンガ論Understanding Comicsで、マンガの哲学研究でもよくこれが参照される(日本のマンガ論でもよく参照されている)。これは本当におもしろいが、邦訳は残念ながら品切れ(私も持っていない)。これに匹敵するような哲学者のマンガ研究があるかは知らない。
マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論


Understanding ComicsUnderstanding Comics


今日は7章Darren Hudson Hick「マンガの言語」を読んだ。グレゴリー・カリーが「映画の言語」ってよく言われてるけど、映画に言語なんてないという批判をしているらしく、それを受けて「マンガの言語」はあるかを論じている。
参照されているカリーの論文は以下
http://philpapers.org/rec/CURTLG


カリーによると、自然言語は生産的(無限に多くの文を生み出す)、かつ慣習的。しかし映画は言語ほど慣習的ではない。また、自然言語にあるような脱文脈的な意味論的意味があるとは言えない。
一方マンガはある程度慣習的な記号を持っている。目がXになると死んだという意味だ(これは知らなかったが、アメリカだとそうらしい)。日本のマンガにもたくさん記号表現があるという話も出てくる。
一方、図像は命題を表現できないこともない。図像は非常にたくさんの命題を表現するが、マンガの場合連続した図像の流れがつくる文脈によって、特定の命題だけを前景化し、これによって物語が語られる。
以上の特徴によってマンガの言語があると言えるか? しかし大体マンガは物語しか語れないので、そういうものを「言語」と呼ぶかは微妙。シンタックスもあると言えるのかよくわからない。ただ、疑似言語であるくらいなら言えるかもしれないという結論。まあそうだろうなあという感想。