Kendall Walton「共感、想像、現象的概念」

In Other Shoes: Music, Metaphor, Empathy, ExistenceIn Other Shoes: Music, Metaphor, Empathy, Existence

『人の立場になって: 音楽、隠喩、共感、存在』(In Other Shoes)の1章。

共感(エンパシー)に想像はいらないよという内容。

共感は、しばしば、他人の心の状態をシミュレーションしてそれについて知ることだとされる。ウォルトンはシミュレーション部分は別に必須ではないのではないかという話をしている。

例えば、私とあなたが非常に近い状況に置かれているとする。二人とも会社でめんどくさい仕事をかかえてうんざりしているとする。私は自分とあなたの状況が近いことや、二人の感じ方がある程度近いことを知っている場合、自分の心を観察し、「あいつもこんなつらみを感じているのだろう」ということを知る。この際、シミュレーションは特に必要ないだろう。必要なのは自分の心を観察し、「こんなXX」として参照することだけだ。

「こんなXX」の部分は、現象的概念と呼ばれているものにあたる。現象的概念は「こんな色」「こんな人」という語が、性質を直示的に指示するのと同じように、分節化されない性質を直示する概念のことだ。例えば私は、知り合いの顔を「こんな顔だ」とイメージすることはできてもそれを言語化することはできないかもしれない。その場合私は現象的概念によって構成される知識は持っているが、言語化された知識はもっていないかもしれない。

ウォルトンによれば共感は、自分の心を直示する現象的概念によって他人の心について知ることである。もちろん私たちは、実際には多くの場合、共感のために想像を利用するかもしれない。例えば、他人が置かれた状況をシミュレートしてみることで(忙しくて大変だろうなとか)、自分の心をそれに近い状態にし、それを共感に利用するかもしれない。しかしその部分はかならずしも必要ない(現実に近い状態にあるならわざわざシミュレーションしなくていい)。