- 1. 序
- 2. 開かれた未来の直観とは何か
- 3. 未来の存在論
- 4. 未来の偶然者と未来の存在論
- 5. OF両立説対OF非両立説
- 6. OF両立説と本当の可能性
- 7. 開かれた未来と分岐
- 8. 開かれた未来と形而上学的不確定性
- 9. 結論: さらにもっと?
http://philpapers.org/rec/TORTOF
Torre, Stephan (2011). The Open Future. Philosophy Compass 6 (5):360-373.
Philosophy Compassの記事。
過去は確定しているが、未来は「開かれている」とよく言われる。この意味を巡って様々な対立がある。
まず、「開かれた未来」をどのように意味付けるかに関して対立がある。未来のものは存在しないから未来は開かれていると考える人たちと、「開かれた未来」は真理の不確定性によると考える人たちがいる。
前者によると、明日海戦があるかどうかは確定しているが、明日の海戦は存在しない。
後者によると、明日海戦があるかどうかは不確定である。存在はするかもしれない。
未来のものは存在しないと考える人たちは、
- 現在主義: 現在のものしか存在しない。
- 成長するブロック説: 過去と現在のものしか存在しない。
一方、未来が分岐するかどうかに関する対立もある。
- ブロック説: 未来はひとつ。
- 分岐説: 未来は複数に分岐する。
分岐説は、未来に関する真理が不確定であることを受け入れる。明日海戦があるかどうかは確定していない。われわれの未来には複数の世界がある。一方、現在主義や成長するブロック説の人たちは、存在を認めないが、真理の確定性を認める。
開かれた未来が真理の確定性と両立するかどうかについては二つの立場がある。
- OF両立説: 開かれた未来と真理の確定性は両立する。
- OF非両立説: 開かれた未来と真理の確定性は両立しない。
OF両立説者は、「本当の歴史」において、明日海戦があるならば、『明日海戦はある』は真であるなどと考える。
OF非両立説によれば、本当の歴史などない。
コメント
分岐説に関する無理解がちょっと……。
特に以下の箇所は誤解では。
超付値理論の手法は、分岐主義者が未来の偶然的言明をどう理解するか説明してくれる。しかしそうした意味論を採用する分岐主義者は未来の偶然的命題については何と言うのだろう。自然な発想は、「明日海戦がある」は、「明日」の指示が不確定なので、ユニークな命題を表現しそこねるというものだ。あるいは、分岐主義者は、言明「明日海戦がある」がユニークな命題を表現することを認めるが、その命題の真理値は不確定なのかもしれない。いずれのオプションを採用するにせよ、未来の偶然的言明について超付値意味論を受け入れる分岐主義者が、言明「明日海戦がある」は不確定な真理値をもつが、その言明はユニークな命題を表現し、命題は確定的な真理値をもつと主張するならば、それは奇妙だろう。
p.364
えーと、以下の組み合わせは何もおかしくない。
(し、マクファーレンはそういうことははっきり書いているので、著者はちゃんと読んでないのではという疑いが……)
- 発話がユニークな命題を表現する。
- その命題は確定的な真理値をもつ。
- 発話は確定的な真理値をもたない。
著者はまず「命題が確定的に真」という時に、「何に関して確定的なのか」をちゃんと書くべきだ。命題の端的な真理値などないのだから。普通の理解だと、命題は可能世界に関して真理値をもつのだ。
分岐説でも、「明日海戦がある」はユニークな命題を表現する(と考えられる。他のオプションもありえるが)。その命題は個々の可能世界で確定的に真か偽になる。
しかし、分岐説だと、発話に関係する可能世界が複数あるのである。超付値理論で考えると、発話は、それが関係するすべての可能世界で真である時に、超真。それが関係するすべての可能世界で偽である時に、超偽となる。
この際、超真でも超偽でもない発話があるという意味で、発話の真理は確定していない。しかし表現される命題はそれぞれの可能世界で確定的に真か偽である。
この立場は以下の三つを認めるが、そこには何の矛盾もない。
- 発話がユニークな命題を表現する。
- その命題は確定的な真理値をもつ。
- 発話は確定的な真理値をもたない。
著者はこれで何の問題があると思っているのかが、ちょっとよくわからない。