Michael Dummett「存在、可能性、時間」

Dummett, Michael (1997). Existence, Possibility and Time. In Julian Nida-Rümelin & Georg Meggle (eds.), Analyomen 2, Volume I: Logic, Epistemology, Philosophy of Science. De Gruyter 43-67.
http://philpapers.org/rec/DUMEPA


以前読んだエヴァンズの「時制論理はまちがいにもとづくのか」に関して、ダメットの応答があるのを知って読んでみた。


前半は存在と主題がテーマで過去や未来の存在者の存在について。後半は真理と時間が主題。


エヴァンズの時制論理の批判について。
時制論理だと、「太郎は座っている」のような時制的な文は、時間に関して中立的な命題を表現する。次郎が「太郎は座っている」と発話したとしよう。次郎がこの文によって表現した命題は、時点に相対的に真理値を付与される。この命題は、昨日の正午には真だったかもしれないが、今日はもう真ではないということも起こりえる。時制論理で使用される真理値は、無時制的な真理値ではなく、「tに真」という時間に相対的なものになる。
エヴァンズはこれは矛盾していると考えた。しかしダメットによればこの批判はおかしい。


次郎が表現した命題の真理値はたしかに、時間によって変化するかもしれない。しかし時制論理は絶対的な真理値を導入することもできる。例えば以下のようにすればいい。

pは時点tに発話され、tに真ならば、絶対的に真である

ダメットによれば、本当の問題は以下のようなものだ。
現実は事実によって構成され、事実とは真なる命題である。では、現実の総体、現在の事実によってのみ構成されるのか?それとも過去現在未来の永久的事実のすべてによって構成されるのか。
時制論理が導入した命題は、テクニカルな概念で、この形而上学的な問題に答えることを意図したものではない。
このような問題を理解したとき、意味論は時間に関する形而上学的問題からは中立だ。意味論のリソースではこの時間に関する形而上学的問題の決着はつかない。

感想

いまひとつダメットが何を言いたかったのかよくわかっていないのだが、理解できたかぎりでは、まあそうだよねと思った。
意味論と時間の形而上学の問題は直接はつながらないとかはそりゃそうだね。