- “Are there Reasons to be Rational”, in a Festschrift for W. Rabinowicz. (ed.
By T. Rönnow-Rasmussen and others.), Lund 2007.
http://www.fil.lu.se/hommageawlodek/site/papper/GjelsvikOlav.pdf
合理性はさまざまなことを私たちに課してくる。合理的であろうとするなら、人はいろんな条件を満たさないとならないだろう。しかし、私たちには、合理的である理由はあるのだろうか? もっと言うと私たちは単に合理的であることが好きで、合理的であることを望んでいるから、合理性の条件に従おうとするのか。それとも、合理性は義務なのか?
この論文は、コロドニーらの「合理的である理由などない」という議論に反論している。著者によれば、合理的である理由はないというコロドニーらの議論は、合理性を理由についての信念に還元するという問題ある仮定に依存している。この想定だと合理性が要求しているのは、「自分がそうすべきだと信じていること」に従うことだけであり、合理性は主観的なものになってしまう。
しかし、合理性を弱く理解してもこれは成り立たない。例えば、合理性は矛盾した信念を避けるよう要求する。この要求は別に、矛盾した信念を避けるべきだという信念がなくても成り立つものだ。