Laetz Brian & J. Johnston Joshua, ファンタジーとは何か

Laetz Brian & J. Johnston Joshua, What is Fantasy? - PhilPapers

Laetz Brian, & Johnston Joshua J., (2008). What is Fantasy? Philosophy and Literature 32 (1):161-172.

ファンタジージャンルの特徴を述べた論文。作品がファンタジージャンルに分類される条件を論じている。

ファンタジーの条件

まず、ファンタジージャンルの特徴として、ドラゴンやエルフや魔法のような超自然的なものに訴えるのは自然な見解だろう。しかし著者によれば、現代的なファンタジー作品は、神話や宗教作品からは区別される。例えば、死後の世界の存在を主張する宗教団体が作った映画に死後の世界が登場しても、それはファンタジーとは見なされないだろう。

一方で、ファンタジーは神話や伝説に深く影響を受けてもいる。古典的なファンタジー作品の多くは、ヨーロッパの神話や伝説に材をとったものだが、近年では、アジアやイスラム圏の伝説に基づいたファンタジー作品もある。神話や伝説の「転用」は、むしろファンタジーの本質的な条件に思われる。

そこで著者らは、神話とファンタジーのねじれた関係をそのまま条件に組み込む。

  • ファンタジーには、神話・伝説・民間伝承に影響を受けた超自然的な内容が含まれる。
  • 観衆の大部分はこれらの内容を信じていない。
  • 観衆はそれらが別の文化によって信じられていたと信じている。

要するに「昔の人が信じていた神話を、もはやそれを信じていない現代人が別の目的に転用したもの」がファンタジーだ。ただし、この条件は多少複雑化されている。「実は古代ギリシア人もギリシア神話を大して信じていなかった」というのはありえる事態だが、それによって、ある作品がファンタジーでなくなることはない。古代ギリシア人がギリシア神話本当に信じていたことは必要ではない。現代のわれわれがギリシア神話を、「かつて信じられていた神話」と見なしているだけで十分だ。

さらに、著者たちは超自然的内容の使用のされ方に関して、細かい条件をいろいろ付けている。

  1. それらは目立った形で登場する
  2. それらは自然化されていない
  3. それらは寓意的にのみ使用されているのではない
  4. それらは単にパロディとして使用されているのではない
  5. それらは単にバカげたものではない
  6. それらは主として観衆を怖がらせることを意図していない

映画の中で2分だけ魔法使いが登場するだけで、作品全体がファンタジーになるわけではない。ファンタジーは、超自然的なものを主要な要素とする作品でなければならない。また、神話を科学的に説明するタイプのSFはファンタジーではない。

また、喋る動物が寓話のためにのみ登場する作品、例えば『動物農場』はファンタジーではない。パロディやギャグのためだけに魔法使いやドラゴンを登場させる作品もファンタジーではない。恐怖のために超自然的なものを導入する作品はホラーであってファンタジーではない。

また、それ以外の条件として、ストーリーにアクションの要素が含まれること、フィクションであることも要請されている。

ぜんぶまとめて書くと「ファンタジーとは、フィクションのアクションストーリーであり、神話・伝説・民間伝承に影響された超自然的内容を目立った形で含む。さらにその内容は観衆の大部分によって信じられておらず、観衆はそれらが別の文化によって信じられていたと信じている。さらにそれらは自然化されておらず、もっぱら寓意的使用、単なるパロディ、単にバカげたもの、主として観衆を怖がらせることを意図していない。」となる(長い)。

驚異

「恐怖のためであってはいけない」「パロディのためであってはいけない」というネガティブな条件がたくさん付くことに疑問を抱く人もいるだろう。私もそこは変だと思う。そういったネガティブな条件の集積ではなく、ファンタジーに固有の目的を特定し、「超自然的な内容が、主としてXという目的のために使用されている」という積極的な条件を入れればいいのではないだろうか。

一方、ファンタジーに固有の目的の候補がひとつある。それは驚異wonderの感情を喚起することだ。ホラーが恐怖を喚起するのと同じように、ファンタジーは驚異を喚起するというのは自然な捉え方ではないか。

ところが、著者たちは、これに疑問を呈している。まず、多くのファンタジー作品は驚異を喚起しないし、大人向けのダークファンタジーなどは驚異の喚起を意図したものではないだろうというのだ*1。そのため、驚異がファンタジーの伝統において重要な要素だったことは疑いないが、ファンタジーの条件には入らないだろうと著者らは主張する。ここは少なくとも疑問の余地のある部分ではあるだろう。

感想

「神話からの転用」というのは、少なくともファンタジーのひとつの典型的な形を取り出すことには成功していると思うが、ファンタジーもいろいろあるから難しいなと思った。例えば世界幻想文学大賞 World Fantasy Awardはファンタジーの賞だが、SFやホラーに近いものが受賞することもある*2。有名なところでいうと、2010年の受賞作であるチャイナ・ミエヴィルの『都市と都市』は、超自然的なものがいっさい出てこない。にもかかわらず『都市と都市』には確かにファンタジーの要素がある感じもするし。それが何なのかというと、やっぱり「驚異」というしかないのではないか*3

単なるアイデアではあるが、「神話から流用した要素が、少なくとも当初は、驚異の喚起を意図して導入される」という形の条件にすればいいのではないだろうか。ファンタジー慣れした観衆にとって、ドラゴンや魔法使いがすでに驚異を喚起しないとしても、ドラゴンや魔法使いはもともと驚異の喚起を目的に導入されたものだから、ファンタジーの構成要素たりえるのだという発想だ。いわゆるジャンルファンタジーが、使い古された要素しか含んでおらず、ほとんど驚異を喚起しないとしても、かつて驚異を目的とした道具立てを含んでいればファンタジーに分類されるという形だ。

都市と都市 (ハヤカワ文庫SF)

都市と都市 (ハヤカワ文庫SF)

*1:英語のdark fantasyがどういう作品を指すのかよくわからないなと思った。

*2:日本語だと「ファンタジー」と「幻想文学」はちょっと使いわけがあるような気もするが、英語だとその辺どうなのだろう。

*3:『都市と都市』がファンタジーに分類されるかどうかは微妙だが、なぜ『都市と都市』が最低限のファンタジー「っぽさ」をもっているかというと、驚異を喚起するからだということ。