3月のワークショップに向けて、私が美的理由について勉強するシリーズ。「美的価値と行為の理由」というテーマを設定してみたが、そんなに参考文献はない。
直近は以下を読んだ。難しかったが、わりとおもしろい。
Andrew, McGonigal (forthcoming). Aesthetic Reasons. In Daniel Star (ed.), Oxford Handbook of Reasons and Normativity. Oxford: Oxford University Press.
McGonigal Andrew, Aesthetic Reasons - PhilPapers
こちらは、『理由と規範性に関するオックスフォードハンドブック 』の記事になる予定のものらしい。
目次
- 美的理由を導入する
- 予備的区別
- 独自性と謙虚性
- 反実在論を動機づける: 美的理由の安定性
- 反実在論を動機づける: 美的対立と感性の役割
- 美的理由の権威
- 反実在論を動機づける: 美的義務への反対
- 美的対立に関する実在論的立場
- 反論への懸念
- 美的理由と組み込み説
- 美的義務の可能性
道徳や認識に関わる理由があるのと同じように、美的理由と呼ぶべきものもありそうに思われる。例えば、ある絵の美しさは、その絵を観に行く理由を与えるかもしれないし、森林の美しさは、森林破壊に反対する理由を与えるかもしれない。
ただし、美的理由とその他の理由の間には、大きく異なる点もある。美的理由は、(1)感覚経験に強く結びつき、(2)また、あまり強い強制力を与えないという特徴がある。とりわけ、道徳的義務と同じような仕方で美的義務があるという見解を疑う論者は多い。結局のところ、美的理由なるものがあるとしても、それは、各人の趣味や好みに依存するという意味で、きわめて主観的なものにすぎないのではないか?
一方、著者は、美的理由に関する反実在論(美的理由は主観的だという立場)にさまざまな魅力があることを認めながらも、美的理由の実在論を擁護する経路を提案している。それは大まかには以下のようなものだ*1。
- 美的感性の涵養は、各人の人格的統合integrityと結びつくものであるという意味で、人によって異なるものである。
- しかし、「あなたの人格的統合と結びついた美的感性を涵養せよ」という行為者中立的理由は認められるだろう。
- 一方、一度美的感性を涵養すると、特定の選択が強制力をもつようになるだろう。
もし、「あなたの人格的統合に結びついた美的感性を涵養しなさい」という行為者中立的理由を認められるなら、この中立的理由は、「これこれの選択は、私の人格的統合に結びついた美的感性によって導かれるものである」という事実に橋渡しされ、特定の選択を美的に後押しする。
例えば、太郎が涵養した美的感性のもとでは『最後のジェダイ』を絶賛することが導かれ、花子が涵養した美的感性のもとでは『最後のジェダイ』を批判することが導かれるとしよう*2。この際、太郎と花子はそれぞれ異なる美的理由をもつが、それらはどちらも「美的感性を涵養せよという抽象的理由」と「個別化する事実」の2つによって導かれたという意味で、各人のほしいままではない、美的義務の要請になっている。著者は、以上のようなルートによって、実在論的な美的義務の可能性を擁護している。