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哲学的意義とは何か

まえおき

哲学的意義の話をするとっかかりはいろいろとある。とりあえず、妥当性との違いから話をはじめよう。
哲学者はよく、哲学のアーギュメントが妥当かどうかということを気にする。ちゃんと結論をサポートする理由をあげることができているか。例は妥当か。推論は妥当か。
しかし議論の仕方が妥当であったら良い哲学の論文なわけではない。当たり前のことを妥当な仕方で書いても価値はない。
良い哲学の論文が良い論文なのは、それが哲学的に重要なことを明らかにするからだ。よい哲学には哲学的意義がある。例えば、これまで知られていなかった、重要で本質的なことを言っているからこそ価値がある。


では哲学的意義とは何だろうか。メタ哲学や哲学方法論は最近盛り上がっていると言われるけれど、哲学的意義に関する議論はほとんどない。少なくとも私は知らない。
なぜなのかは知らない。「単一の哲学的意義などというものはない」という人もいるかもしれないが、これについてはSo What?と言いたい。複数的で、歴史的で、変化や齟齬を許す価値についての説明が存在しないとでもいうのか。
ちょっと考えてみてほしいが、「哲学的意義とは何か?」という問いは「善とは何か?」とか「真理とは何か?」という問いより難しいだろうか? 哲学が扱うべき対象の中には、明らかに哲学的意義よりももっととらえどころのないものがたくさんある。哲学的意義について哲学的に考えることができないという意見には特に根拠がないと思う。

Abellの芸術的価値の理論

とりあえず簡単な素描を描きたい。ひとつアイデアがあって、Catharine Abellという人が芸術の定義と芸術的価値を結びつけた論文を書いていて、そこで提示しているモデルは哲学の場合にもうまく使えるのではないかと思う。


Abellはサールの制度的事実論などに影響を受け、以下のようなモデルを考えている。
1. 「xが芸術作品である」ということは制度的事実である。共同体が構成的規則に従って「これは芸術作品だ」と認めることで、はじめて芸術作品という固有の地位が生まれる(これは、共同体がこの紙切れが貨幣であると認めることで、貨幣という固有の地位が得られることとパラレルだ)。
2. 特定の生産物を生み出す制度が芸術の制度と見なされるのは、その制度に期待される機能によって決まる。芸術の制度に期待される機能は以下を促進すること。

  • 肯定的美的性質
  • 情緒的表現
  • 知的挑戦
  • 形式的複雑性と統一性
  • 複雑な意味を伝える
  • 個人の視点を提示する
  • 独創性
  • 高度なスキルの発揮

3. 芸術制度の生産物の内、2の機能遂行に直接的に影響するものが芸術作品である(芸術の制度が地位機能を付与する対象は作品以外にもありえるので、この条件が必要となる)。


これは「A. どの制度が芸術の制度であるかの特定」「B. 制度が何を芸術作品とするかの特定」という二段構えの定義になっている。
AもBもクリアな境界を持たないので、それぞれに曖昧でありえる。おもしろいのは、これが「何が芸術か」を巡る争いのあり方をうまく反映していることだ。
例えば、以下の二つの問いは独立である。

  • 何が落語であるか(これは落語制度の構成規則によって決まる)
  • 落語の制度は芸術の制度か(これは落語制度に期待される機能によって決まる)

特に、2の条件は必要条件でも十分条件でもなく、「その内の重要な部分を満たせばよい」とだけ定義されている。また、時代によって変わることもありえるだろう。


さらにAbellは上記のモデルによって、芸術とは何かだけでなく、芸術的価値とは何かを明らかにしようとする。芸術的価値は、芸術の制度に期待される機能の遂行への影響によって決まる。この「影響」には様々な形がありえる。

  • 直接的にその機能を遂行する。
  • 他の作品へ影響を与え、結果的に機能を遂行させる(新しい技法の提示など)。
  • 芸術制度への反省を深め、結果的に機能の遂行を促進する。

ここが広く定義されているのは、「美を表現する」といった単一の機能だけだと、コンセプチュアルアートなどをうまく扱えないからだ。かわりに、制度や制度に期待される機能との関わりを問題にしようとしている。そのため「芸術に期待されるステレオタイプな機能」を果たさなくても、高い芸術的価値を持ちうることになる。

哲学的意義

すでにだいぶ長くなったが、ここではこのモデルを哲学に適用する。
(ちなみにAbellもちょっとだけ哲学にも触れている)
1. 「xが哲学の仕事(論文/発表/書籍)である」ということは制度的事実である。共同体が、「これは哲学の仕事だ」と認めることで、はじめて哲学の仕事という固有の地位が生まれる。
2. 特定の生産物を生み出す制度が哲学の制度と見なされるのは、その制度に期待される機能によって決まる。哲学の制度に期待される機能は以下(あたりじゃないか)

  • 現実の本質や人の地位について明らかにする。
  • 存在や意識など、他の学問では決着をつけづらい非常に一般的な物事について明らかにする。
  • 常識や他の学問の背景にある前提や構造を明らかにする。
  • 良き生き方を教える。

3. 哲学制度の生産物の内、2の機能遂行に直接的に影響するものが哲学の仕事である。


2の部分はとりあえず適当に考えてみただけなので、もっと検討する必要がある。この部分は倫理学法哲学、美学、認識論といった学問分野が哲学の下位分野に分類されるのはいつなのかという問いに対応している。わからないけど、文学研究の一部とか数学や心理学の学科にも哲学の下位分野はあるのかもしれない。
また「哲学とは何か」という議論はたまにあるが、だいたい2に入りそうな条件を検討しているように見える。ただしここは必要条件でも十分条件でもないということに気をつける必要がある。


以上のモデルの下で哲学的意義は、哲学の制度に期待される機能への影響によって決まる。ここでもいろいろな仕方が考えられる。

  • 上記のような機能を果たす。
  • 方法的な影響を与え、結果として上記の機能を遂行させる。
  • 哲学の制度に対する反省を深め、結果として機能の遂行を促進する(オルタナティブな哲学観の構築など)。

などが哲学的意義の高い仕事と見なされるだろう。
例えば「哲学史研究の哲学的意義」にこれを適用してみると、軽い応用問題になるかもしれない。ここでも、哲学史研究の哲学的意義が一種類しかないと考える必要はない。「過去の哲学者の思考を明らかにすることで、直接に上記のような事柄を明らかにする」「新しいアイデアの提示など、方法的影響を与える」「哲学自体への反省を深める」など、多様な意義がありえる。