物語における前景/背景

言語学系の物語研究がそこそこあることに気づいたので少しお勉強。
以下はおもしろかった。多分美学や文学の人が読んでもおもしろいと思う。


論点は様々だが、ここでは前景/背景についてだけ説明する。
前景/背景は、日本語では大まかにはシタ(スル)、シテイタ(シテイル)に対応する。多くの言語では、それぞれ完成相、非完成相のアスペクトが用いられるらしい。
前景は狭い意味での出来事を表し、継起的に解釈され、時間を進める働きがある。一方、背景は状態、持続、反復を表し、時間を進めない。

(1)メロスは激怒した。
(2)必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
(3)メロスには政治がわからぬ。
(4)メロスは、村の牧人である。
(5)笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。
(6)けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
(7)きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此このシラクスの市にやって来た。
(8)メロスには父も、母も無い。
(9)女房も無い。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card1567.html
(1)(2)(7)が前景にあたる。これらの出来事は(1)→(2)→(7)という順に起きている。ということは1から7まで進む間に物語内の時間が進んでいるということだ。一方、3から6の間は時間は進んでいない。メロスに政治がわからないとか、メロスが牧人であるというの他の出来事と同時であるかオーバーラップする期間のことであるか無時制であるかである。


なお、上の論文では、前景になるものとして、運動動詞の完成相の他、可能動詞・状態動詞のイベントフレーム解釈というのがあげられている(例えば、「役立つ」は普通は状態を表すが、「その日はじめて英語が役立った」は出来事として解釈される)。
また、背景について、微視的背景と巨視的背景を分けている。微視的背景の例として、運動動詞の持続相、存在動詞の知覚フレーム解釈(ex. 窓を開けると猫がいた)、一時的状態を示す形容詞文、名詞文があげられている。
これも例をあげよう。前景と微視的背景は具体時と結びつくことができる。
例えば、「三日前のこと、メロスは激怒した」「三日前のこと、メロスは羊と遊んでいた」は言える。しかし「三日前のこと、メロスは村の牧人だった」は(一時的に村の牧人であるという特殊な解釈を取らないかぎり)言えない。
一方、恒常的な属性を持つ形容詞文・名詞文、運動動詞の習慣相は巨視的背景となる。
おそらく、上の例だと微視的背景はなく、巨視的背景だけになっている。「羊と遊んで暮らしてきた」は習慣相に当たると思われる。