書いた論文の宣伝

1. 『フィルカル』

『フィルカル』の次の号に「フィクションの中の哲学」という論文が載るので宣伝。

この論文では、「フィクション作品を通じた哲学」という話題を扱っている。日常的にも、「この作品は哲学的な問題を扱っている」といったことを感じることはあるのではないかと思うが、ここで扱っているのはそれだ。

実はこのテーマについては、英語圏ですでにそれなりに議論の蓄積がある。特に映画に関して、「映画による哲学」というテーマはそれなりにホットな話題になっていて、本も何冊か出ている。そうした中で、基本的な論点はすでに一通り出ているのだが、日本語でこの辺りの議論を紹介したものはこれまで特に無かった。ところが、何と私の論文を読むとこの辺の議論の蓄積をある程度知ることができる! やった!

(網羅的に紹介したわけではまったくないけれど)

ちなみに、「作品が素敵な洞察を与えてくれる」といった価値のことを、芸術作品の認知的価値という。作品の認知的価値に関しては以前からぼんやり関心があったのだが、この論文では、(1)作品はどんな認知的価値を与えてくれるのかという問いを、(2)哲学とはどんな営みなのかという問いとセットで扱っている。フィクション作品と哲学を、認識に関する機能の側面において比較していると言っても良いと思う。従って、「哲学とはどんな営みなのか」というメタ哲学の問題に関心がある人にも薦められる。

また、この論文では、作品による哲学の具体例として『ウルトラQ』第11話「バルンガ」を扱っている。一節はまるまる「バルンガ」の作品論に当てているので、『ウルトラQ』が好きな方もよろしく。

2. 基礎論

もうひとつ、科学基礎論研究にも「ストーリーはどのような存在者か」という論文が載った。

こちらはナラティブとストーリーの話をしている。二つの問いを扱っている。

  1. トーリーの同一性の基準は何か(小説と映画のストーリーが同一だとか言う場合のストーリーね)
  2. 人生や歴史などを「物語」と見なすことは正当か

私は、まず前者に対して、「ストーリーは(ある特別な種類の)出来事だ」という解答がもっともらしいというのを擁護している。さらにその解答を前提すれば、人生や歴史が物語(正確にはストーリー)であるというのもリテラルに受けとって問題ないだろうという話をしている。