人から教えてもらったものを読みます。
山口尚「神の命令倫理学の利点――ネーゲルとノージックの「人生の意味」論に依拠して」『宗教と倫理』11号(2011)pp.81-95
http://www.jare.jp/activity/pdf/religion_ethics11.pdf
これは、論争的ではあるが、おもしろかった。ネーゲルの論文の要約とか、非常にまとまっていて、自分の読みがあまかった点も見えて反省。
要約
- 自然主義の立場に立つと(神のような超自然的な存在を持ち出さなければ)人生の意味の問題には答えられない。
- 道徳において神の命令説を取れば人生の意味の問題に答えられる。
- 少なくともこの点で、神の命令説のような超自然主義は、倫理学におけるアドバンテージを持つ。
個人的には、
- 神のような超自然的存在を持ち出さなければ人生の意味の問題に答えられない
- 神は存在しない
- 人生の意味の問題には答えられない
という立場に共感するので、これにやや近い著者の立場はおもしろく感じられた。
吉沢文武「死と不死と人生の意味―不死性要件をめぐるメッツの議論と不死に関するもう一つの解」『応用倫理』5号(2011)
http://ethics.let.hokudai.ac.jp/ja/files/oyorinri_no5.pdf
こちらは「どうせ死んでしまうのだから人生は無意味である」(人生が意味のあるものであるためには不死が必要である)という見解の検討。
難しいが、
- ある性質をもたない
- 存在しない(のでもつ/もたないを適用できない)
のちがいに着目した議論だろうか。
Ben Bradleyが死者が享受する福利と関連して、
- (1)「享受する価値がゼロである状態」(いかなる快も苦も享受していない)
- (2)「石ころのように、そもそも価値享受の主体ではない状態」
の違いを検討していたと思うのだが、それと類比的に理解できそうな話ではある。
しかし、わたしはこれを読むことによって、死が以前よりも怖くなった気がする。死によって、人生のよい面が、特異な仕方で失われてしまうということを想像してしまった。