『メタゾアの心身問題』

ピーター・ゴドフリー=スミス『メタゾアの心身問題』塩﨑香織訳、2023年、みすず書房

『メタゾアの心身問題』を読んだ。前著『タコの心身問題』を楽しく読んだのでこちらも楽しみにしていた。年末年始に読んでいたらあっという間に読み終ってしまった。ちなみに「メタゾア」は耳慣れない言葉だと思うが、多細胞の動物がだいたい含まれるカテゴリーらしい。

『タコの心身問題』もそうなのだが、読んでいない人に内容を伝えるのがとても難しいタイプの本だ。どちらも基本的には心の哲学の本といって良いと思うのだが、心の哲学の本と聞いてイメージする内容とはかなり異なっている。何しろ『メタゾアの心身問題』には、「カイメン」「サンゴ」「節足動物」「タコ」「魚」を扱った章はあるが、人間を扱った章は一章もない。しかもかなり多くの部分はそれらの動物の具体的な生態の記述に割かれている。

しかし読むとわかるのだが、これは間違いなく心身問題を扱った本なのである。基本的な筋としては、「意識は進化のどの時点で誕生したのか」「そしてそれは物理的にはどのように実現されているのか」という問題を扱っている。ここで急いで付け加えなければならないのだが、著者は「意識」という大げさすぎる語を避けようとしており、本書の大部分では、かわりに「感じられた経験」や「主観性と行為者性」という言葉を使っている。

基本的には、進化をたどりながら、主観性の起源を追うという趣旨だ。進化を扱う以上は、本来は古生物の話をしなければならないのだが、古生物についてわかることはかなり限定されている。そのため、過去の生物の話も適宜入れつつ、基本的には現生生物を題材に説明している。

独特なのは著者がフィールドで出会った生物たちの詳細な描写が挿入されるところ。前著ではもっぱらタコだったが、本作ではヤドカリやエビも登場する。このあたりは、あまり学術書らしい書き方はしておらず、まるでナショナルジオグラフィックでも見ているような気分になる。文章も素晴しく、筆致は抑制されているが簡潔で美しい。

あまり学術書らしくはないのであるが、一方、動物の生態を詳細に語る必要性については頷ける部分がある。一般的な心の哲学の本では人間の心的生活を扱うが、人間の心に関しては当然ながら多くの人間が大量の知識を有している。ところが、本書で論じられるような動物の心的生活については、そもそも前提となる知識が欠如している。犬やネコなどの身近な哺乳類はともかく、タコやヤドカリに何ができるかについて、ほとんどの人間は何も知らないのだ。なので、それらについて哲学をする前に、生態について詳しく書くことは避けられないと思う。まあそういう正当化は置いておいたとしても、動物の生態の話は単純におもしろい。少なくとも私は本書を読んで、ヤドカリや魚の能力に関して、何度も驚かされた。

肝心の主張の方は、入り組んでいてなかなかまとめづらいが、「主観性を支える検知のシステムと、行為者性を支える行為のシステムはセットで進化した」、「これまで考えられてきた以上に多くの動物が主観性の担い手である」、「それを実現しているのは神経系と脳ではあるが、脳のはたらきは従来考えられてきたものと少し違うかもしれない」などといったことが主張されている。

ひとことでまとめると「人間がほとんど出てこない、いっぷう変わった心の哲学の本」である。