カントの天才論

判断力批判』の一部で、カントは「天才論」というかたちで芸術作品の創造について論じている。それは『判断力批判』全体のプロジェクトの中では、決してメインのテーマではないのだが、それなりにおもしろい主題となっている。

まず、カントが芸術作品の創造について、どのような問題を見出していたか説明しよう。

芸術の産物について意識されていなければならないのは、それが技術であって、自然ではないということがらである。とはいえ、それでも芸術の産物が有する形式における合目的性は、選択意志を拘束する規則によるいっさいの強制から、それがあたかもたんなる自然の産物であるかのように、自由なものと見えなければならない。

イマヌエル・カント判断力批判熊野純彦(訳)(2015)、作品社、p.277

カントは芸術作品の制作に、一種のパラドックスやジレンマを見出していた。上の引用箇所にあるように、芸術作品は一方で「技術であって、自然ではない」と意識されていなければならない。また一方で「あたかもたんなる自然の産物であるかのように」見えなければならない。ジレンマがわかりやすくなるように、ふたつの要請をはっきり書き出してみよう。

  1. 技術条件: 芸術作品は技術であると意識されていなければならない。
  2. 自然条件: 芸術作品はあたかも自然のように見えなければならない。

前者は芸術作品を芸術作品として鑑賞するための前提である。技術を技術として評価するためには、それが人工物であり、芸術作品であり、絵画などであることが理解されていなければならない。

後者は、(良い)芸術作品が美的判断・趣味判断の対象であるために成り立たなければならない条件である。規則に従って機械のように作られたものであれば、もはやそれを美的に見る余地はない。

よりパラドックスらしく言えば、芸術作品は「規則に従うと同時に従わず」「目的を持つと同時に持たず」「自然でないと同時に自然である」ものとして見られなければならない。

あるいはもう少し直観的な言い方をすれば、作品は自然物のように見られてもいけないし、技術的な面で「ヘタ」であってはいけない。しかし、その一方で、あまりカッチリして教科書的であってもよくない。カントの言葉でいえば「苦渋の跡」が見られることがなく、「学校風の形式を窺わせるところがない」ものでなければならない(翻訳p. 278)。

一方この矛盾を解くために導入されるのが天才の概念だ。カントのいう天才は、「規則に従うと同時に従わない」ものを作る能力である。

どういうことか。自然条件の方から説明すると、天才の作る作品には、普通の意味での規則(学ばれたり、言葉で説明することができる規則)は適用できず、むしろいっさいの規則から自由に見える。

だが、一方で(技術条件の面から言えば)、そこには何らかの統一性や形式が感じられる。それは単なるめちゃくちゃ(「ナンセンスな独創」)ではなく、ほかの人々の模範となるという意味で規則的である(邦訳p.280)。

これはブラックボックス的な能力であり、天才自身であっても、自分がどうやって作品を作っているかは説明できないものとされる。

美的理念

さらに、カントは天才の概念を肉付けするために美的理念(or感性的理念)というものを導入する。美的理念とは、想像力によって作られたイメージではあるが、「およそいかなる一定の思想も、すなわち概念も適合することができ」ず、「多くのことを思考させる」ものであるとされる(p.289)。もっとざっくりとした現代風の言葉に置き換えると、「いかなる解釈もピッタリとは当てはまらないが、さまざまな解釈が当てはまりそうで当てはまらないために、きわめて多くの解釈を誘うような表現」となる。いろんなことを言いたくなる表現と言ってもいい。天才の能力は言い換えれば、美的理念を作る能力であるとされる。

美的理念の箇所はとても難しく、解釈もわかれるので説明しづらいが、一応がんばって図を描いてみた*1

美的理念

カントは基本的に、知覚や想像から入力されたデータ(直観)が、概念操作能力(悟性)によって、特定の概念に分類されるというモデルで考えている。図の一番左側は、これが正常にはたらいているところだ。想像力の表現が概念にスッと適合する状態。解釈にまったく悩まないような表現が与えられ、特定の概念に分類される。

一番右側の方は、与えられた表現がめちゃくちゃで、何の概念も当てはまらない状態。カントが「ナンセンスな独創」と呼んでいるのはこういうものかもしれない。

両者のあいだに、想像力と概念(悟性)がちょうど釣り合うポイントがあり、美的理念、つまり「いかなる解釈もピッタリとは当てはまらないが、さまざまな解釈が当てはまりそうで当てはまらないために、きわめて多くの解釈を誘うような表現」はそこに位置する。ちょうどいいバランスでいろんな概念が当てはまりそうで当てはまらないために、さまざまな思考が誘発される。カントのことばで言えば、そこでは「能力(想像力と悟性)のつり合いと適合」が成立する(p.296)。

参考文献

勉強しようと思っていくつか読んだのだが、Christian Helmut WenzelのAn Introduction to Kant's Aestheticsと、AllisonのKant’s Theory of Tasteが良かった。後者はむずかしめなので、前者の方がおすすめ。

*1:カントは美的理念の構成要素として美的属性というものを考えているのだが、美的属性の話はうまく拾えなかった。