ポール・ケリー『リベラリズム』

ポール・ケリー『リベラリズム』(佐藤正志, 山岡龍一, 隠岐理貴, 石川涼子, 田中将人, 森達也訳)を読んだ。

英語のKey Conceptシリーズの「リベラリズム」の巻の翻訳。

政治哲学は素人なので読めるかなあと思ったが、実際読むと「この話めちゃくちゃ既視感あるな」と思う話題が多かった。著者は社会契約論をベースに話を組み立てており、私は契約論系の倫理学の文献をよく読んでいるので、相性が良かったと思う。ここで契約論系の倫理学とは、具体的には、主にT. M. スキャンロンを指している。スキャンロンは本書にも何度か登場している。また本書には出てこないが、読書会で読んでいるR. Jay Wallaceとも共通する話題が多かったように思う(Wallaceはスキャンロンに影響を受けている)。

本書におけるリベラリズムは、方法論としては正当化の手続きを重視し、規範の内容としては自由平等を重視する立場と特徴づけられる。手続きの重視の部分は、著者が重視する社会契約論の伝統で、本書でいえば2章3章の内容がそれに相当する。また、自由と平等に関してはそれぞれ4章、5章で論じられる。

手続きに関して、もう少し説明するとすれば、リベラリズムが重んじるのは「不偏的な正当化」(「普遍」ではなく偏りがないという意味の「不偏」)だ。これは、意見の対立があるときに「中立」を貫くという意味ではない。中立は存在しないが、だからといって選り好みが許されるわけではなく、特定の立場をえこひいきすることなく、万人に対して正当化ができなければならないという要求だ。これを具体化したもののひとつがロールズの「無知のヴェール」だが、本書では、「ロールズの部分をスキャンロンに変える」というB. バリーの立場などが紹介されていた。ざっくり言うと、スキャンロンの立場は「賛成派と反対派の最善の意見を戦わせてどっちが理にかなっているか考えよう」というものである(ざっくり言いすぎだが)。

自由の章と平等の章では、それぞれリベラリズムの立場から、自由と平等に関して、具体的にどんな内容が要請されるかが論じられる。本書の副題に「リベラルな平等主義を擁護して」とある通り、ポール・ケリー自身はどちらかといえば平等をより重視する立場のようだ。

また6章以降はリベラリズムへの批判に答える内容になっている。「寛容のパラドックス」に近い内容(要するに「リベラリストは非リベラリズムを排除してしまう」的な話)を検討した7章が個人的にはおもしろかったし、この辺りは多くの人の興味をひくところではないかと思う。まあ正直前半の内容は大変地味なので、7章にたどりつく前に脱落してしまう人も多いのではないかという気もするが……。一方で、7章での批判に答えるためには、前半の「不偏性」の話が重要になるので、7章だけ先に読むわけにもいかないのが難しいところだ。

リベラリズムというのは良くも悪くも人の感情に訴えかける部分のある立場だが、この本はそういう部分がほとんどない地味な本であり、そこが良いところだとは思う。