ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます(3)

第一回

第二回

ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます。

filmart.co.jp

ユリイカ2022年9月号 特集=Jホラーの現在にも書いています。

www.seidosha.co.jp

紹介 - ホラーの詩学

断片的にいくつか紹介してきましたが、『ホラーの哲学』を、トータルに紹介することもしてみようと思います。

『ホラーの哲学』とはどんな本か。ふたつの軸で整理するならば、縦軸は「ホラーの詩学」であること、横軸がパラドックスであるという整理を思いつきました(縦と横は特に意味がないのでどっちがどっちでもいいです)。おおむねふたつとも「序」に書いてあることですが。

「ホラーの詩学」とは何かというと、要するに〈制作〉の観点からのホラー論であるということです。

キャロルの言い方で言えば、「アリストテレスが〔『詩学』で〕悲劇に対して行ったことを、ホラージャンルに対して行う」(p.8)。アリストテレスの『詩学』が扱ったのは、当時の一大人気ジャンルであるギリシャ悲劇ですが、アリストテレスの悲劇論は、〈制作〉〈作る〉という観点からの悲劇論です。詩学poeticsという語は元々「創作術」「制作術」を意味しています。キャロルによれば、『詩学』では、(1)ギリシャ悲劇が鑑賞者に与える効果、(2)その効果を出すために役立つもの(特にプロット)が述べられています。同じように、本書でも、(1)ホラーが鑑賞者に与える効果——つまりホラーの〈怖さ〉(アートホラー)——と、(2)その効果を出すための仕組みが分析されます。

つまり、作り方の「ハウツー」ですね。もちろん本書を読んでも、いきなりホラー小説やホラー映画が作れるようになったりはしないと思うんですが、本書は哲学書でありながら、基本的な関心は、「作り方」、言い換えれば「これはどんな仕組みで動いているのだろう」という点にあります。最初に紹介したモンスターの作り方などもそうですし、例えば三章のホラーのプロットの分析などもそうですね。三章は、もう少しわかりやすくリライトすれば、ホラー創作術の本にもそのまま載せられる内容になっていると思います。

わたしが個人的にすごく好きなのは、本書のこの〈作る〉という観点です。おそらく、これは分析対象・分析手法とも関連しているでしょう。

「序」で、キャロルは哲学的美学がハイアートのみを扱う傾向、芸術において紋切り型を嫌う傾向に反対しています。

実際、人文系の学術書で何らかの作品を扱う際に、傑作、名作、古典のみを扱いがちな傾向はあると思うんですが、その背景には、おそらく「作る」という観点がないからという理由もあるのではないでしょうか。研究者に受け手側・鑑賞者側の視点しかないと、凡作を前にしたときに、できることが「扱わない」「無理やりほめる」のどちらかしかなくなってしまいます。

しかし、制作という観点からすれば、凡作だから分析対象にならないということはないし、失敗も興味深いケーススタディになりえるでしょう。特定ジャンルにおける紋切り型や、「あるある」も、むしろ分析のとっかかりとして利用しやすいものになります。なぜこの紋切り型がよく使われているのか、そこにどういう魅力があるのか。これは大衆芸術、ポピュラーカルチャーを扱う際に重要な観点です。

紹介 - 心のパラドックス

もうひとつの軸であるパラドックスについても簡単に紹介します。

本書では、「フィクションのパラドックス」(二章)、「ホラーのパラドックス」(四章)というふたつのパラドックスが扱われます。これも本書のもうひとつの重要な軸です。本書の原題には元々「心のパラドックスたちParadoxes of the Heart」という副題があったのですが*1——翻訳では、そのままではわかりにくいので「フィクションと感情をめぐるパラドックス」としました——、「心のパラドックスたち」が指しているのはこのふたつのパラドックスのことです。

「フィクションのパラドックス」は、〈なぜ存在しないとわかっている虚構のキャラクターを怖がることができるのか〉という問題です。

「ホラーのパラドックス」は、〈なぜホラーの鑑賞者は、怖いものをわざわざ見たがるのか〉という問題です。

いずれもフィクションと感情に関わるパラドックスです。これ以上詳しい話を紹介すると長くなるので、今回はこの辺で。

本書に出てくるホラー作品の紹介コーナー

小説も紹介したいなと思ったのでシャーリイ・ジャクスンの『丘の屋敷』を紹介します。三章の「幻想」を扱う箇所で登場します。

実は、ホラー小説でベストを選べと言われたら、わたしは、迷いつつも、おそらくこれをあげるんじゃないかと思うくらいには好きな作品です。ちなみにホラー映画でベストを選べと言われたら、やはり迷いつつも、本作の映画版であるロバート・ワイズ監督の『たたり』をあげるかも……*2

たたり [DVD]

たたり [DVD]

  • リチャード・ジョンソン
Amazon

何がそんなに好きなのか自分でもよくわからないんですが、考えてみると、ひとつには精神的に不安定な主人公エレノアの精神の不安に連動して、怪異が起きていくという構造ですね。これは後続の作品で似たものはありますが、『丘の屋敷』はすごくうまいです。

もう一個は、個人的に、心霊研究・心霊実験の題材が好きすぎるという理由があります。これは一応自分なりの説明があって、ホラーというのは、理性の光でもって、覗いてはいけない暗闇を照らそうとしてひどい目に合うというのが基本的な流れだと思っていて、〈理性的なもの〉と〈神秘的なもの〉のコントラストが魅力のひとつだと思うんですね。一方、科学者・研究者が心霊研究・心霊実験を行なう場面というのは、まさに〈理性〉〈神秘〉の衝突じゃないですか。そこがいいですね。変な機械などで、霊を測定したりするとなおよいです*3

あと『丘の屋敷』は、原作だと、心霊研究を行なうモンタギュー博士が哲学者で、そこも推しポイントですね。モンタギュー博士は基本的に何の役にも立たないですが。

*1:ちなみに「心のパラドックス」という表現は18世紀の著述家ジョン・エイキンとアナ・リティティア・エイキンから取られています。

*2:ちなみに、Netflixでやってたドラマ版の『ホーティング・オブ・ヒルハウス』というのもありまして、これは原作とはだいぶ違うんですが、これも結構好きです。

*3:実は、世間的にはそこまで評価されていないであろう『リング2』が結構好きなんですが、理由は謎の電極をつけて心霊実験する場面が出てくるからです。