第一回
ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます(1) - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます。
ユリイカ2022年9月号 特集=Jホラーの現在にも書いています。
紹介
今回紹介したいのは歴史的な話。本書はホラーの歴史ではなく、どちらかと言うとホラーの理論的考察を中心としていますが、歴史的な話もところどころでしていて、実はそこでも結構おもしろいことを言ってますという紹介。
ひとつは一章の結論部で、啓蒙思想とホラーの関係について触れた部分。大雑把に言うと、啓蒙思想による科学的・近代的世界観の確立がホラージャンル誕生の前提になったという話をしています。ここはまあ似たようなことはよく言われていると思うんですが、なかなかおもしろいし、興味ある人はそれなりにいるのではないかと思います。
もうひとつ、個人的に好きなのが、本書の最終節「ホラーの現在」という箇所です。ちなみに、『ホラーの哲学』は1990年に出た本なので、「現在」というのは1990年のことです。この辺は訳者解説でも触れたんですが、1990年というのがどういう時期かというと、当時はどうやら70年代からのホラーブームがずっとつづいているという意識があったらしいです(わたしは世代的にも実感ないです)。
70年代からのホラーブームというのは、1973年に『エクソシスト』の映画が大ヒットして、原作の小説も売れて、ホラー映画やホラー小説がたくさん作られた時期です。序文などでも触れられているんですが、『ホラーの哲学』は実はこの1973年くらいからの十年半のホラーブームへのリアクションとして書かれた本なんですね。
もちろん理論的な本なので、本書の大半は、過去十年半のホラーだけではなく、十八世紀からずっとつづいているホラーというものを対象にしています。ただ、ひとつの動機として「この十年半のホラーブームは何だったんだろう」というのがあって、最終節でその話をしてるんですね。
で、なんで今ホラーブームなんだろうという話を検討していて、ここが結構おもしろいです。まあまじめにやろうと思ったら歴史的な話になるので、本人もこれは思弁であり、推測だって書いているんですが。
キャロルの回答はひとことで言うと「アメリカ人が自信をなくしたから」です。本書の言葉で言うと「パックス・アメリカーナの崩壊」ですね。背景はベトナム戦争などです。細かい話を完全にすっ飛ばすと、それまでアメリカ人が抱いていた強い個人などの理想が崩壊してしまって、「これからどうすればいいんだろう」みたいな不安にホラーがうまくはまったと。
これはまあ70年代におけるアメリカ文化の変容みたいなレベルではよくある指摘だと思うんですが、ことホラーにかぎって、この辺の話をしているのは、あまり類似の指摘がない気がします(あったらすいません)。訳者解説では『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の話なんかもしています。
本書に出てくるホラー作品の紹介コーナー
話の流れ上、ウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(1973)を紹介します。といっても、そもそも有名な作品なので、今さらわたしが紹介する意味はほとんどないと思うんですが。いや、名作なんで普通に観た方がいいと思いますよ。
どうでもいい話をすると、実はわりと最近見返したんですが、ブリッジ状態で階段を降りる有名なシーンが出てこなくて、びっくりしました。あれは実はディレクターズカット版で追加されたシーンらしいですね。
アメリカ理想主義の崩壊がホラーブームにつながったという話を聞いて改めて考えると、『エクソシスト』って、まあ確かにそんな感じの話ではありますね。カラス神父は、元々近代的で懐疑主義的な人間として描かれていて、そもそも最初からあまり神を信じきれていない。それが悪魔に神の不在を突き付けられて、「おまえの信じてたものは全部嘘だ! さあどうする!」みたいな。理想の崩壊後を生きるアメリカ人の隠喩みたいに見えなくもないです。
あと『エクソシスト』は、普通ジャンル映画なら一分で飛ばすところをものすごく丁寧にやっているのが独特な感じはしますね。悪魔憑きと思われる症状を医者にも診せたけどだめだったという場面を普通そんな丁寧にやらないと思うんですが、この映画は前半ずっと病院で精密検査してますからね。
『エクソシスト』の影響を受けていると思われる『女神の継承』(2022)も最近観たんですが、あれも信仰しきれない人間の苦しみみたいな話ではありました。