ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます(5) - ホラーの定義

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ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます。

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ユリイカ2022年9月号 特集=Jホラーの現在にも書いています。

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紹介

第一章のホラーの定義の箇所を紹介しようと思います。

ホラーの定義と聞くと、次のように考える人はいるのではないでしょうか。ホラーの定義? 「怖い作品」のことでいいんじゃないかと*1

しかしここでちょっと考えてほしいのは、「怖い作品」はすべてホラーでしょうかということです。地震や台風や、事故や伝染病や環境破壊などを扱った作品も、何らかの意味では、「怖い」のではないでしょうか。交通事故は怖い。しかし、危険な交通事故を扱った映画は(少なくとも交通事故が出てくるだけであれば)「ホラー」ではないでしょう。ホラーが扱うのは、そういう意味での「怖さ」ではないはずです。

では、ホラーが扱う「怖さ」とは何でしょうか? 本書では、このホラー固有の「怖さ」が「アートホラー」と呼ばれています。

そして、本書によれば、アートホラーという感情の定義はおおむね次のようになります*2。それは、(1)超自然のモンスターに向けられるものであり、(2)危険に対する恐怖の感情(コワイ)と、(3)不浄に対する嫌悪の感情(キモイ)が混合した感情であると。

(1)について。本書では、「モンスター」という語は、「超自然のクリーチャー」くらいの意味で使用されます。吸血鬼やゾンビなどだけではなく、幽霊も宇宙生物も含みます。

(2)について。ここは普通の意味での恐怖を指しています。高いところが怖いとか、病気やケガや事故が怖いという感情はここに入ります。キャロルは、恐怖fearを、危険に向けられる感情と捉えています。

(3)について。ここはキャロルの定義のキモになる箇所で、キャロルはこの嫌悪(キモイ)の要素を捉えるために人類学者メアリー・ダグラスの「不浄」の概念に訴えています。恐怖が危険に向けられる感情であるのと同様に、嫌悪disgustは不浄に向けられる感情であるとされます。ここは後でもう少し詳しく触れましょう。

まとめると、キャロルのホラーの定義は、まずホラーにおける特殊な「怖さ」を、超自然のモンスターに向けられるコワイとキモイが混合した感情として定義します。また、ホラージャンルは、この特殊な感情を与えることを目指すジャンルとして定義されます。

先ほど、交通事故の危険を描くだけの作品は(たとえ交通事故が怖いとしても)ホラーではないという話をしました*3。キャロルの定義をもとに考えると、なぜこの作品がホラーに含まれないかというと、(2)の要素はあるが、(1)と(3)がないせいだということになります。そこで例を少し修正し、「コワイ」にくわえて、「キモイ」「モンスター」という要素を入れてみましょう。もし、交通事故を引き起こしているのが、何らかの忌しい超自然の存在であれば(例えば、幽霊であれば)、この作品をホラーに含めても違和感はなさそうです。

(3)について補足。嫌悪と不浄はキャロルの定義のうちの核となる部分ですが、少々つかみづらい部分でもあります。不浄とは、簡単に言えば、〈文化の中の基本的なカテゴリーからの逸脱〉です。キャロルは、ダグラスにならい、カテゴリーの狭間にあるもの、カテゴリーと矛盾するもの、不完全なもの、不定形のものがこの特徴をもつとしています。この特徴をもつものは、その文化の中で忌避の対象となります。例えば、切り離された髪の毛、唾液、糞尿などは、自他の境界に位置するがゆえに忌避されます。死体は、生/死、人間/物体のカテゴリーの境界に位置するがゆえに忌避されます。また虫のように、カテゴリーの境界に位置する生物もしばしば忌避されます(わたしの直観によれば、虫は生物なのに足が機械っぽいところが不浄を感じさせます)。

ホラーのクリーチャーがこの特徴をもつことは明らかでしょう。ホラーのクリーチャーの多くは、ゾンビや幽霊のように、生死の境界を攪乱したり、人狼のように複数の生物種を混ぜ合わせています。

以上がキャロルによるホラーの定義の紹介でした。

本書に出てくるホラー作品の紹介コーナー

コリン・ウィルソンの『精神寄生体』を紹介します。この小説、わたしは本書ではじめて知ったし、あまり現在言及されることは少ないかと思うんですが、なかなかおもしろいですよ。ストーリーは、人間の精神に寄生して、人間を操る精神生物と人類の戦いという感じです。目に見えない寄生生物に自分も操られるかもしれない、他人もすでに操られているかもしれないというのが単純に怖いです。

あと、この小説は、笠井潔の矢吹駆シリーズとちょっと似てまして、フッサール現象学が異星人との戦いの武器として導入されるんですよね。現象学的還元などを身につけることで、精神寄生体のコントロールに対抗できるようです。それだけならともかく、作中では、主人公たちがフッサールを読むことでなぜか念力まで身につけていて笑いました。フッサールを読むと、物体を宙に浮かせることができるようです。矢吹駆シリーズ同様に、現象学者は必読でしょう。

*1:細かいことを言うと、できの悪いホラーは怖くないので「怖さを目指す作品」のように定義する必要はあるでしょう。

*2:以下は、キャロルの定義そのままではなく、だいぶ噛みくだいています

*3:ちなみに、ホラーでないというのは別に作品の欠陥ではないです。例えば、ディザスタームービーなどのジャンルはホラーとは違った意味での天災の恐怖を描くでしょうが、それがホラーに含まれないのは欠陥ではなく仕様です。