George A. Reisch, How the Cold War Transformed Philosophy of Science: To the Icy Slopes of Logic
本書は「分析哲学の黒歴史」と呼ぶのにふさわしい内容を扱っている。黒歴史という語はネットスラングだが、ここでは、〈多くの人が忘れたがっており、実際に半ば忘れられてしまった過去〉という程度の意味で使っている。
本書によれば、論理実証主義*1という潮流を殺したのは、クワインやトマス・クーンといった批判者達ではない。30年代までは、左翼的な政治運動・文化運動の側面をもっていた論理実証主義の運動(統一科学運動)は、その政治性ゆえに、「共産主義的」と見なされ、冷戦とマッカーシズムの時代にアカデミズムからパージされたというのだ。
もちろん、ある意味では、論理実証主義は排除されてなどいない。現代の分析哲学は、テクニカルで専門的な哲学としての論理実証主義から多くのものを受けついだし、その意味では、現在でも論理実証主義の方法論や発想は生き延びている。だが、論理実証主義ははじめからテクニカルで形式的な哲学という側面しかもっていなかったわけではない。50年代の厳しい政治的な状況の中で、「それしかできなくなってしまった」という方が実態に近いのだ。
本書では、ウィーン左派と呼ばれる哲学者たち、すなわちオットー・ノイラート、フィリップ・フランク、チャールズ・モリス、ルドルフ・カルナップを中心に、冷戦と論理実証主義の関係を追っていく。
正直に言うと、私にはこの本の書評を書くのは能力的に難しいので、以下ラフに書こう。
本書を読んで非常におもしろかったのは、論理実証主義とマルクス主義の微妙な関係だ。現在において両者の関係が注目されることは少ないが、実際には両者は、批判もするが時には協力するような関係にあったことがわかる。
特に30年代においては、論理実証主義は、ガチのマルクス主義者からは批判されるが、リベラルよりの知識人からは好意的に受けとめられた。両者にとって共通の敵は、宗教権力やファシストであり、こうした勢力に対して、科学主義の立場から批判するという点でも両者は共通していた。個人主義よりも、集団主義を重視するといった点も、相性の良かった点のひとつだろう。
例えば、論理実証主義者のフィリップ・フランクはマルクス主義と論理実証主義の哲学の親近性を強調した論文を書いている*2。一方、マルクス主義から論理実証主義者への批判がどういうものだったかというと、〈論理実証主義者は形而上学は無意味だと言っているが、それだと唯物論的弁証法も否定されてしまう〉といった現代から見るとよくわからない議論があったりしたようだ。
だが、冷戦期のアメリカでは、もちろんマルクス主義との親近性はスキャンダル以外の何ものにもならなかった。また、冷戦時代のアメリカでは、集団主義collectivismが全体主義と同一視され、悪者になってしまった。
50年代には、フィリップ・フランクもカルナップもFBIの捜査対象になっていた。本書の後半は、ノイラートやモリスやフランクがだんだん科学哲学・分析哲学のメインストリームから排除されていく過程が描かれているが、この辺りは、読んでいてつらい。フランクらは、科学哲学が、科学の実践と切り離されたテクニカルな専門領域になることに反対し、科学者との協働作業を訴えたが、論理実証主義の受容史は、(1)まずフィリップ・フランクたちが、科学哲学のメインストリームから排除され、(2)つぎに、論理実証主義が、科学の実践を無視した形式的な哲学として批判されるという過程を踏む。この辺りの記述は読んでいてくらーい気持ちになる。