Aaron Smuts「不死と重要性」

「不死の悪」関連。

http://philpapers.org/rec/SMUIAS
Smuts, Aaron (2011). Immortality and Significance. Philosophy and Literature 35 (1):134-149.


Smutsは不死に関するウィリアムズの議論を批判しつつ、不死は生から重要性を奪うという点ではウィリアムズに同意している。
ウィリアムズの議論は不死と人の同一性を対立させるもの(孫引きなので不正確かもしれない)。例えば、輪廻転生のような形で、毎度記憶や人格がリセットするならば、不死の生を送っても、価値をもたらさない。もし不死の生を送る間、私たちの重要な欲求がすっかり変化してしまえば、私たちはパーソナルアイデンティティを失なってしまう。一方重要な欲求が変化しないとすれば、私たちは今度は退屈に苦しむことになるだろう。
これに対しては、欲求が変化しないことを求めるのが強すぎる(人は一生を送る間に欲求が変化することがありえる)、飽きることのない楽しみもあるといった批判がある。


一方スマッツは不死の人が、成長する場合と成長しない場合で場合わけしている。
不死の人の成長がどこがで止まる場合→それ以上成長ができなくなって、永遠のフラストレーションに陥る。バッドエンド。
不死の人の成長が止まらない場合→ギリシアの神のような存在になる。できないことがなくなって、もはやシムシティを永遠に続けているような状態になる。バッドエンド。
いずれにせよ、不死によって良い人生を送れるわけではないと議論している。


まあ結構脇の甘い議論ではある。途中は結構おもしろい話もあるんだけど、結論はあまり納得いかない。