Vinueza, Adam (2001). Realism and mind independence. Pacific Philosophical Quarterly 82 (1):51–70.
- 序
- 解説
- 心への依存の2つのよさそうな分析
- 表象分析
- 応用
- 結論
実在論は、「存在するものは、心から独立している」(反対に心から独立していないものは存在していない)という立場だとされることがある。
まあ、いろんな意味で使われる語なのだが、少なくとも心からの独立は基準のひとつである。
ところが、この「心からの独立性」の意味はさだめがたい。例えば、椅子や机は、ある意味では心に依存しているが、大半の実在論者は椅子や机の存在を否定していない。また、心的出来事や経験も、心に依存しているが、大半の実在論者は経験の存在を否定していない。
著者は、実在論を特徴づける「心への依存性」の意味として以下のようなものを提案している。
xは心に依存する =def xは表象的性質しかもたない。
表象的性質とは、気づきの対象になることによって、あるいは言語実践において、措定されることによってもたれる性質のことであるとされる。例えば、私が幻覚したピンクの象は、ピンクだが、これは(気づきによって表象されることによってもつ性質なので)表象的性質だ。あと、シャーロック・ホームズは探偵だが、これは(小説でそう措定されることによってもつ性質なので)表象的性質だ。
著者は、これによってデフレ的実在論を特徴づけられるとしている。例えば、アゾーニによると、数学的対象は、措定されるものであり、措定から独立には存在しない。シファーによれば、命題や性質は言語的対象で、言語実践のおかげで存在する。
実在論者は普通、対象がある性質をもつことによって、それらについてその性質を付与するような語りが正当化されると考える。ところが、デフレ実在論者は、この順序を逆転して、対象がその性質をもつのは、それらについての語りが実践に内的な基準によって正当化されるからだと考える。これは上記のような心に依存する対象を認めた場合に典型的に起きることであるという。