スタンフォード哲学事典「問い」

問いquestionの意味論に興味があり、調べている。

Questions (Stanford Encyclopedia of Philosophy)

Hagstrom 2003も読んだ。

Uegaki forthcomingでも勉強させていただきました。

「問い」に関する哲学的興味っていくつかあって、

  1. 問いの意味論に関する言語学・言語哲学上の興味。疑問と答えという言語行為は何をやっていて、疑問は何を意味するのか。
  2. 問いと答えという認識の形式に関する認識論・科学哲学上の興味。特にwhy questionは、「説明」という科学哲学の重要トピックと関連するとされる。あと、ふつう認識論で注目されるのは命題知だが、wh知識というのもある(誰か、いつか、何かなどを知っている)。

スタンフォード哲学事典のこの記事は上記をバランスよく扱っていて、概観をえるにはなかなかよかった(よく見たら意味論の箇所と科学哲学の箇所を書いた人は別だった)。

20世紀の分析哲学って、認識論も言語哲学も、文・命題を中心とするもので、問いと答えというのは、それに対するオルタナティブとして追求されてきたという側面もある。ちなみに、以前読んだ以下の論文は、まさにこの問いと答えに注目した哲学者としてライルとドゥルーズを比較していた。

Peter Kulger「意味、カテゴリー、問い: ライルとともにドゥルーズを読む」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

まあ形式意味論・言語哲学における問いの意味論は、そういうデカい話とは特に関係なく盛り上がっているわけだが。

問いの意味論

通常の叙述文が命題を表示するように、疑問文interrogativeは問いquestionを表示すると言われる。そして問いは、命題の集合やそれに類似したものであると言われる。例えば、《誰がいたのか》という問いは、〈花子がいた〉〈太郎がいた〉〈次郎がいた〉などの可能な答えに対応する命題(可能性)の集合であるとされる。疑問という言語行為はそれら複数の可能性を真偽を決定しないままに提示する。

また、これは疑問文の埋め込みについて考えるとわかりやすいかもしれない。「私たちは誰がいたのかについては賛成しあっている」という場合、私たちが賛成しあっているのは、上記のような命題の集合のそれぞれについてだろう。

ただしこの命題の集合について、詳細は論者によって分かれる。

  • Hamblin 1973: 問いは、偽なものを含む可能な答えの集合だよ
  • Karttunen 1977: 問いは、可能な答えのうち真なものの集合だよ
  • Groenendijk and Stokhof 1984: 問いは、包括的exaustiveで真な答え(可能世界によって異なる)だよ