トマス・ネーゲル「アホらしさ」

タイトルのthe absurdは翻訳だと「人生の無意味さ」になっている。定訳は「不条理」。個人的には「アホらしさ」がいいような気がしているのでそれでいく。 以前からこの論文は構成がわかりにくいと思っていたのでメモ。

コウモリであるとはどのようなことか

コウモリであるとはどのようなことか

Thomas Nagel, The absurd - PhilPapers

Nagel, Thomas (1971). The absurd. Journal of Philosophy 68 (20):716-727.

よくある議論

多くの人は人生はアホらしい、不条理なものだと感じている。ネーゲルの念頭にあるのはカミュサルトルだろう。 ネーゲルはこの直観をうまく表現できる議論を探している。最初に二つ、よくある議論が提示され、否定される。

  1. 宇宙の広さと人生の短かさからの議論
  2. 正当化の連鎖からの議論

1は「私たちが重要だと思っているどんなことも、一万年後には重要ではない」とか、「宇宙は広く、私たちはちっぽけだ」とかいうやつ。ネーゲルによれば、これはおかしい。この議論によれば、宇宙が小さいか私たちが大きいかすれば人生はアホらしくないことになるが、そうではないし、物理的な大きさなど何の関係もないと思われるからだ*1

2。正当化の連鎖はかならずどこかで止まってしまう。金のために働く、娯楽や食料のために金をえる。しかしそれらはどこにもいきつかず、正当化の連鎖はどこかで終わる。最後には死が待っている。だから、何にもならないのではないか、という議論だ。しかし、正当化の連鎖が無限につづかないことや、最終目的が複数あることにそれ自体何の問題もない。この議論が正しければ、正当化の連鎖が無限につづけば人生はアホらしくないことになるが、そうではない。

アホらしさ

これらの議論は失敗しているのだが、人生はアホらしいという直観には真実が含まれている。ネーゲルはアホらしさの概念を簡単に分析したあと、2の「正当化の連鎖からの議論」の変形のような議論を提示する。

アホらしさが生じるのは、意図/願望と現実の間にギャップが生じている場合である。騎士の爵位を授けられたときにズボンがずり落ちるとか、犯罪者が慈善団体の代表者になるケースがこれにあたる。人生がアホらしいのは、この意図と現実のギャップがかならず生じるからだ。

ギャップは、

  • (1)真剣に生きることから逃れられないこと、
  • (2)真剣さに疑いをもつことからも逃がれられないこと

の2つから生じる。私たちは日々何とかして自分の生活を生きていかなければならないし、そのためには様々な目的を追求せざるをえない。ところが、人生を真剣に生きることに対する正当化もどこかで終わる。何のために生きなければならないのか? 幸福のため? では何のために幸福を目指すのか? この問いには答えがない。

もちろん、自分より大きなもの(共同体、宗教)に訴えても状況は変わらない。なぜ共同体の繁栄を目指すのか? なぜ神の栄光が称えられるべきなのか?といった問いに関しても、正当化の連鎖はどこかで終わるからだ。

われわれが一歩退いて発見するのは、われわれの選択を支配し合理性の要求を支える正当化と批判の全体系は、反応と習慣に基づいているのだが、その反応と習慣はわれわれによって決して問題視されず、循環に陥ることなしには弁護されるすべもなく、たとえ問題視されたとしてもなおわれわれが固執せざるをえないようなものなのだ、ということだからである。邦訳p.25

しかし、なぜ、先に提示した2の「正当化の連鎖からの議論」はだめで、この議論はOKなのかというのは難しい。私の言葉で説明すると、「正当化の連鎖がどこかで終わるからいかなるものにも価値はない」という議論はまちがっている。しかし、絶対に疑うことのできない最終的な価値があるという結論も特に正当化されていない。

「尊重すべき最終的な価値がある」という主張をVとすると、not Vも、Vも特に確証されていない。Vには、循環的でない根拠がない。従って、「いかなるものにも価値がない(not V)」を信じることも非合理ではない。

ところが、私たちはVを信じていかざるをえない。すべての価値を疑ったまま生きていくことはできない。ここから、人生のアホらしさが生じる。

対処法

人生のアホらしさにどう対処すればいいのか。ネーゲルは3つの対処法をあげている。

  1. 生の真剣さを放棄する
  2. 自殺
  3. 反逆と嘲笑
  4. アイロニー

1は真剣に生きないというもの。東洋の宗教はこれを理想としたのかもしれないと言われている。2に関して説明は不要だろう。3はカミュが推奨したもの。ネーゲルは、カミュの反逆と嘲笑はロマン主義的すぎるとして、アイロニーをよしとしている。

*1:私はこれは疑っていて、私たちが大きいか宇宙が小さいかすればアホらしくないのではないかと思うがそれは置いておく