- 作者: Judea Pearl,黒木学
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 2009/02/24
- メディア: 単行本
- 購入: 6人 クリック: 231回
- この商品を含むブログ (25件) を見る
哲学的におもしろいと思う部分を紹介しよう。ベイジアンネットの体系の中で、因果的介入は因果のネットワークを断ち切った新しいモデルを制作することとして理解される。
また反事実的条件法は、ある時点までは現実と同様の流れにそいながら、突然決定論から逸脱するようなモデルを制作することで表現される。この逸脱を、Pearlはルイスを参照しつつ「奇跡」と呼んでいる。
これは、ひとつには、決定論と自由意志の矛盾として理解されてきた事柄(決定論が正しいならば、われわれは世界に対し因果的に介入することができない)の再現だろう。もしも、自由意志のもとでの行為を、因果的介入と理解するならば、世界が決定論的であるかぎり、因果的介入が生じる余地はない。
決定論のもとでは、因果的介入が存在する余地はない。
もし、自由意志のもとでの行為が因果的介入と理解されるべきなのであれば、決定論が正しいかぎり、われわれは自由意志のもとで行為することができない。
当然ながら、ここにはいくつも問題含みの仮定がある。
たとえば、以下のような立場はどれもそれなりにもっともらしいだろう。
- 自由意志のもとでの行為は因果的介入ではない(少なくとも因果関係のネットワークの切断として理解されるそれではない)
- 世界は決定論的ではない
- あるいは決定論はそのように理解されるべきではない
- 因果関係はリアルな関係ではない。それはあくまでも人間が世界を裁断するためのモデルである
など
著者自身は、因果関係を世界内のリアルな関係として理解したいようなのだが、それならば因果的介入はいかにして生じるのか、聞いてみたいように思う。
ベイジアンネットワークによる世界の完全な記述の上では、介入は生じないと言うしかないように思われるのだが……。
京大の哲学論叢でベイジアンネットワークが特集された際の論文が入手できるので、こちらも合わせて読んでおきたい。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/95223