おひさしぶりです。
こないだ勉強会でレジュメを作成したので公開しておきます。
http://d.hatena.ne.jp/conchucame/20130502/p1
扱ったのは以下の論文です。
Gatalo, Nada, THE PROBLEM WITH SENTIMENTAL ART, Postgraduate Journal of Aesthetics, Vol. 5, No. 2, August 2008
↓論文自体はwebで公開されています。
http://www.british-aesthetics.org/uploads/Nada%20Gatalo%20-%20The%20Problem%20with%20Sentimental%20Art.pdf
↓レジュメ
https://docs.google.com/document/d/1_WviBhn6MPd9En25Wju0GmCOHfErgs0_e_5OFfrrgPY/edit?usp=sharing
背景など
「感傷性」は、「典型的には過去の美化などに見られるように、感情に耽溺することで認識を歪めること」くらいの意味で使われています(日本語のニュアンスとちょっと違うかもしれません)。
レジュメでも紹介しましたが、伊勢田哲冶さんの『倫理学的に考える』に収録された「感傷性の倫理学的位置付け」で、過去の議論の紹介が読めます。
- 作者: 伊勢田哲治
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2012/12
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 12回
- この商品を含むブログ (6件) を見る
内容の要約
さて、著者によれば、
- (1)感傷的な芸術作品は、芸術的によくないものであるとされている。
- (2)感傷性は倫理的に(あるいは認識の面で)よくないものであるという議論は、哲学の世界では以前からあったが、感傷性が倫理的によくないものであるなどの問題から、それが芸術的にもよくないものであるという結論はでてこない。
- (3)よって、なぜ感傷的な芸術作品が芸術的によくないものであるのかを考えてみましょう。
- (4)ノエル・キャロルが指摘しているが、物語的芸術作品の場合、われわれに自らの道徳を反省させることは、芸術的な美点である。
- (5)一方感傷的な芸術作品はわれわれの道徳的な反省を邪魔してしまう。
- (6)だから、感傷的な芸術作品は芸術的によくないのである。
感想
以下感想。(3)の問題(感傷的芸術作品のどこが芸術として悪いのか)は理解できるし、興味深い問題であると思います。しかし著者の議論にはあまり説得されなかった。
(4)のような、道徳的反省をうながすことが芸術的な美点であるというのは、よく言われることでもあるし、認めてもいいかなと思います。しかし(4)からすぐ、その逆バージョンの(5)がでてくるわけではないでしょう。
道徳的に反省させることが芸術的美点だとしても、反省の邪魔をすることが芸術的な欠陥であるとはかぎらないのではないか。
この辺にあんまり議論がなかったところがちょっと。