性格の概念は物語と関係深いが、性格の概念自体とても難しいなと最近思っている。
まず、性格には二種類ある。
- 説明項としての性格
- 性格は、本人の行為や心理を説明するものだとされることがある。例えば性格を知ることで、当人の未来の行為をある程度予測できると考えられることがある。困った人との付き合い方みたいな、いわゆる俗流心理学本や性格診断の類はこういう知識を与えるものとされているだろう。
- 構築物としての性格
- 一方、性格には、本人が構築し、それを通じてその人を表現するものみたいな意味もある。日本語の「性格」はこの意味であまり使わないが、「キャラクター」にはこの意味がある。例えば、「キャラクターに合わない服装」などがある。
前者の性格概念は疑わしいものとされることがある。性格より、短期的な状況の方がはるかに行為をよく説明すると言う人たちがいる。以前グレゴリー・カリーの性格懐疑論を紹介したが、Cochraneは後者の性格概念に訴えることで、この批判に答えようとしている。
→Gregory Currie『物語と語り手』の性格懐疑論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
後者の性格概念は、作られるものなので、そもそも正しいとか間違っているということが意味をなさない(本人のキャラクターを間違って把握している人はいるだろうが、キャラクターなるものが誤った説明概念だということはない)。
http://philpapers.org/rec/COCNAC
Cochrane, Tom (2014). Narrative and Character Formation. Journal of Aesthetics and Art Criticism 72 (3):303-315.
目次
- 1. 序
- 2. 性格とその価値
- 3. 物語
- 4. フィクションの利得
- 5. 懐疑論の挑戦
- 6. 統一の理想
- 7. 結論
Cochraneによれば、性格は単なるパーソナリティとは区別される。性格は芸術作品と同じように、制作行為によって個別化される。例えば、同じ音構造でも別の人が作れば別の音楽作品であるのと同じように、同じ思考や行動のパターンでも、それを作り上げた過程が違えば別の性格になる。
また性格は美的に評価されるものである。例えば強烈な性格や印象深い性格がある。
物語はこの意味での性格についてよく教えてくれる。ここで物語の二つの特徴が取り上げられる。
- 選択性
- 衝突
物語では、すべてのディティールが重要なわけではないし、そもそも表現されるディティールはよく選ばれている。この意味での選択性は性格についても同じで、例えば、靴の選択はある人のキャラクターにとっては重要だが、ある人にとっては重要ではない。物語は選択性を実現する仕方を教えてくれる。
また、それによって物語は性格の模範を提供する。私たちは映画を観て、主人公のような人間になりたいと思ったりする。
また、物語はしばしば衝突や葛藤を描く。同じ人の中の価値観の衝突や複数人の間の衝突は物語ではメインの主題になりやすい。これは、私たちに複数の価値の優先順位を反省する機会を与える。
感想
さらっと書いてあるが、性格は制作行為によって個別化されるというのは、重大な帰結を引き起こすだろうと思う。まず、これを認めると、異なる人が同じ性格を持つことはないと認めないといけない。
しかし、常識に反する部分もあるが、これはまじめに検討に値する選択肢のように思える。結構いいアイデアのような感じがするぞ。