[fiction] フィクション論の古典なり基礎文献的なもの

フィクション論の古典なり基礎文献的なものがあれば教えてくださいという質問がask.fmに来てたので答えます。
以前からフィクションの哲学はいろんなテーマが錯綜していてややこしいと思っていたのでこの機会にちょっと整理してみる。
まず日本語で読める本として以下の二冊がある。読めばそれなりに先行研究のことはわかるが、ちょっと二冊ともそれぞれに癖が強いので、フィクションの哲学の入門書としては勧めづらい。
フィクションの哲学清塚邦彦『フィクションの哲学』


虚構世界の存在論三浦俊彦『虚構世界の存在論』


また、フィクションの哲学はサブジャンルが細かく分かれ、それぞれ関連はするが、独立した問題だったりするのでまずは興味があるところに絞って読むとよいだろう。
以下ざっとサブジャンルを整理して紹介する。

フィクションの定義・特徴づけ

フィクションとは何か?を扱う。
なお、清塚『フィクションの哲学』はこのテーマを扱っているので、まずはこれを読むといいと思う。ただ著者自身の立場はちょっと独特。
英語圏で古典と言えるのはウォルトンのMimesis as Make-Believeだが、いきなりこれを読むのはきついので、先にサーベイを探してみるのがいい(日本語なら清塚本か後に追記した『分析美学入門』の八章)。ちなみにこの本は翻訳の噂がある。


最近の潮流としては、「フィクションの作品」と「フィクションの発言」を分けた上で(これまでのフィクション論は後者ばかり考えていたがそれでは足りないという指摘のもと)、ジャンルとしてのフィクションを考えるみたいなものがある。
http://philpapers.org/rec/FRIFC


あと、最近の傾向としてフィクションと物語(これはノンフィクションも含む)を区別し、物語一般の特徴とフィクションの特徴を分けて扱うのが一般的になってきている気がする。

フィクションにおける真

シャーロック・ホームズは探偵だ」「シャーロック・ホームズはロンドンに住んでいる」
これはともに正しい。ではこういったフィクションの内容に関する主張の真理条件はどうなるのか。
これについては、デイヴィド・ルイスの古典的な論文がある。これは翻訳が現代思想に載ったことがある。
http://philpapers.org/rec/LEWTIF
→ディヴィド・ルイス 「フィクションの真理」『現代思想』1995 年、第 23 巻 04 号

フィクショナルキャラクターの言語哲学と形而上学

フィクショナルキャラクターは存在しないということはみな知っているにもかかわらず、私たちはフィクショナルキャラクターの話ができる。なぜそんなことが可能なのか。
これは言語哲学・形而上学の古典的な問題で膨大な文献がある。正確に言うと、以下の二つの問題があるが、両者は密接なつながりがある。

空名の指示
指示対象を持たない名前の意味論という言語哲学上の問題
フィクショナルキャラクターの存在論
フィクショナルキャラクターはいかなる存在なのかという形而上学の問題

上記の三浦『虚構の存在論』はこの分野を扱っており、詳しいが、少し古いのと内容が一部アレなのでそんなにはおすすめしない。
おすすめは、藤川直也『名前に何の意味があるのか』の六章。
名前に何の意味があるのか: 固有名の哲学名前に何の意味があるのか: 固有名の哲学

対立がある分野なので文献をひとつあげるのは難しいが、個人的にはアミ・トマソンが画期的だと思う。
Fiction and Metaphysics (Cambridge Studies in Philosophy)Fiction and Metaphysics (Cambridge Studies in Philosophy)


トマソンについては以前紹介記事を書いたことがある。
Amie Thomasson「フィクショナルキャラクターを語ること」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

フィクションと感情

なぜ存在しないと信じているものを怖がったり、悲しんだりするのか?
これは、フィクションのパラドックスという名前で知られる問題で、これまたたくさん文献がある。邦語文献もそれなりにある。
古典はウォルトンのFearing fictionsだが、これもそのうち訳が出るらしい。
ウォルトンの論文については、概念の警官として知られる森功次氏の論文がある。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/51237


あと、ステッカーのフィクションのパラドックスに関する論文の翻訳がある。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/51241/

フィクションの認知的価値

なぜフィクションを通じて知識を得たり、認識を深めることができるのか?を扱うもの。
あまり日本語で文献を見たことはないが、英語圏ではそこそこ文献がある。特に最近はメタ哲学が盛んになったおかげで思考実験についての研究がたくさんでてきて、それをフィクションにも応用するものが多いように思う。
以前紹介したD. Davisの論文: Davia Davies「芸術と科学におけるフィクションの物語から学ぶこと」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

フィクショナリズム

道徳はフィクションだとか、数学的対象はフィクションだとか、「文字通りには真ではない。存在しない」ものを一種のフィクションとして捉えようという立場。
実はそんなに興味がないのでよく知らない。しかし、最近の文献もあって盛り上がっている。
読んでないけど、これとか。
Fiction and Fictionalism
id:kugyo さんが紹介記事を書いている。
R. M. Sainsbury, *Fiction and Fictionalism*(2010)の紹介 - kugyoを埋葬する

追記

分析美学入門ステッカー『分析美学入門』


すっかり忘れていたが、8章がフィクションを扱っている。フィクションとは何かを中心に、ウォルトン説の紹介とフィクションのパラドックスの話が手短かにまとまっている(うろ覚えなので今読み直してる)。
日本語で読めるし、結構広い範囲に触れてるのでむしろこれを最初に読んだ方がいいかもしれない。