Jonathan Bennet『出来事とその名前』を読んでいる。
Events and Their Names
pp.69-72の出来事因果に関する時間の非対称性の話がおもしろかったのでまとめる。
あるメッセージの到着が、パーティの終わりの時間を変えたとしよう。
この時、私たちは、メッセージの到着が終わりを早めた場合、「メッセージの到着がパーティを終わらせた」と言う傾向にある。
一方、メッセージの到着が終わりを遅らせた場合、「メッセージの到着がパーティを終わらせた」と言うことはほとんどない。
言うとすれば「メッセージの到着がパーティの終わりを遅らせた」とか「パーティの終わりをその時間にした」だろう。
別の例だと、死を早めた出来事は死を引き起こしたと言われうるが、死を遅らせた出来事が死を引き起こしたと言うことはほとんどない。医師の努力が死を遅らせた時に、医師の努力のために死んだとは言わない。もしそう言うのであれば誰が医者になるだろうか(デイヴィド・ルイス)。
ベネットは以前の論文では、この非対称性が出来事因果の反事実的条件法分析の欠点になると考えたらしい。この本ではそれは誤解だったという話をしているが、詳細はおいておく。
因果に関する反事実的条件法分析によれば、
ボールの衝突が窓ガラスの粉砕を引き起こした。
は以下のような反事実的条件法で分析される
もし仮にボールの衝突がなければ、窓ガラスの粉砕は起きなかっただろう。
この分析が正しいとすると、先のケースでは、以下が成り立つ。
(ややこしいが、「早めた」場合、端的にその出来事を引き起こしたことになり、「遅めた」場合その出来事を引き起こしたことにはならない)
- メッセージがパーティの終わりを早めた場合
- もし仮にメッセージがなければ、その終わりはなかった。
- メッセージがパーティの終わりを遅らせた場合
- もし仮にメッセージがなくても、その終わりはあった。
前者の場合だと、現実世界で起きたその終わりは、もっと遅れて起きることはありえない。遅くなっていれば、それは別の終わりであることになる。後者の場合だと、現実世界で起きたその終わりは、もっと早くなることがありえた。
すでに頭がぐちゃぐちゃになりそうだが、時間軸で言うと、同じ出来事が他の可能世界で「より遅く」起きることはなく、「より早く」起きることはある。特定の出来事を見た場合、現実世界が常に一番未来にあり、他の可能世界では同じ出来事は過去にのみ発生しえたことになる。
↓ややこしいから図を書いた。t1からt5は時点。w1からw4は可能世界。
終わりトークンe1が起きた世界の中では、現実世界はe1が最も遅く起きた世界になる。現実世界より遅い終わりがある場合、e1が起きずに別の終わりトークンe2が生じる。メッセージが到着した現実に最も近い世界がw1とかw2の場合、「遅めた」ケース。メッセージが到着した現実に最も近い世界がw3とかw4の場合、「早めた」ケース。
→時間の方向
t1 | t2 | t3 | t4 | t5 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
現実 | e1 | |||||
w1 | e1 | |||||
w2 | e1 | |||||
w3 | e2 | |||||
w4 | e2 |
ただし、ベネットも指摘しているが、この非対称性はすべての出来事に生じるわけではない。例えば来客によって朝食の時間が早くなったとしても、「来客のせいで朝食を食べた」とは言わないように思う(「来客のせいで朝食が早くなった」なら言う)。
ベネットはあまり特定していないが、いくつか例を考えると、どうも「終わること」の仲間(アスペクトで言うと到達)だけに起きる現象のような気がする。勝利を早めると勝利を引き起こしたと言いそうだし、到着を早めると到着を引き起こしたと言いそうだ。
まだあまりちゃんと考えられていないが、反事実的条件法分析がうまくいかないいくつかのケース(先回りケースとか)ってこの非対称性のせいで起きているような気もする。