相対主義と「完全な内容」

意味論的相対主義は、不完全な内容の概念を使うと思われている。
不完全な内容とは、例えば「時点によって異なる真偽をもつような命題」(時制主義の命題)とか「de se内容」とかそういったもののことだ。
ところが実はこれは本質的には必要ない。例えば「永久主義の命題」(永久的真理をもつ命題)だけを使っても査定の文脈に依存的な真理条件を述べることができる。このテクニックはMacFarlane2008およびMacFarlane2014で使用されている。以下自分の整理のために記録しておく。


トリックは、複数の可能世界を用意することだ。例えばマクファーレンは時間に関してこのトリックを使っている。非決定論的な「分岐する世界」では、私たちは複数の世界にまたがって存在し、さらに時点によって異なる世界がオーバーラップする。
永久主義バージョンの相対主義的真理条件は以下のようになる。W(c0, c1)は文脈c0、c1とオーバーラップする世界の集合を選び出す。

永久主義の命題pがc0で使用され、c1で査定されて真である iff w∈W(c0, c1)のすべてのwについて、pがwで真である.
MacFarlane, 2014, p.227

この想定だと、発話の文脈が属する世界、査定の文脈が属する世界はそれぞれ違う世界の集合なので、それによって発話の真理が文脈依存的になる。

応用

このテクニックをマクファーレンが相対主義を適用する「趣味」など他の領域にも適用できないか考えてみよう。
以下はあまり説得力のある立場ではないが、とりあえず応用として考えてみる。

まず、絶対的美味しさを以下のように定義する。

「xは絶対的に美味しい」が世界wで真である iff 世界wの理想的趣味tにおいてxは好まれる.

この立場では、世界wはただひとつの理想的趣味tを決定するので、各世界で美味しいものは曖昧でなく決まる。美味しいものは絶対的に美味しく、美味しくないものは美味しくない。
ところが、いま現実は理想的趣味に関して開かれているので、私たちは以下のオーバーラップした世界群のなかにいる。
(各世界は理想的趣味以外の点ではまったく同じであるとしておこう)。

  • w0: 理想的趣味t0
  • w1: 理想的趣味t1
  • ...

エヴェレット解釈みたいな感じで、私たちは複数の世界にまたがって存在する。現実は理想的趣味に関して非常に不安定な状態にあるので、理想的趣味がころころ変化したり、そもそもひとつでない。また、理屈はよくわからないが、各人の美味しさに関する観察は世界の状態を収束させる。
一方、現実の人がもつ趣味s0, s1, ...も考える。現実の趣味は複数の理想的趣味と整合しうるとしよう。現実の趣味sに対し、sと整合する理想的趣味をもつ世界の集合を返す関数をFとする(F(s)は空でありえる)。
これによって美味しさに関する完全命題の真理条件を述べられるようになった。

文脈主義バージョン

「xは絶対的に美味しい」がc0で使用されて真である iff F(s0)のすべての世界wについて、「xは絶対的に美味しい」はwで真である。

文脈主義バージョンだと、誰かが美味しさについて述べると、その人の趣味と整合する理想的趣味によって世界が収束する。これは美味しさについて真なる発話をするために次のことを要求している。例えば、自分の社会的地位を高めるために、自分がほんとうは好んでいないものを美味しいと言うスノッブの発話は偽になる。理想的趣味とまったく整合しない場合も偽になる。

  • 自分の趣味との整合: 自分の趣味において好まれるものを美味しいと言わなければならない。
  • 理想的趣味との整合: その人の趣味と整合する理想的趣味が存在しなければならない。

相対主義バージョン

「xは絶対的に美味しい」がc0で使用され、c1で査定されて真である iff F(s0) ∩ F(s1)のすべての世界wについて、「xは絶対的に美味しい」はwで真である。

文脈主義バージョンでは、各個人の美味しさの観察だけが世界を収束させる。一方相対主義バージョンでは、各個人の美味しさの観察だけではなく、それを査定する人も一緒になって世界を収束させる。
ここで「xは絶対的に美味しい」は各可能世界に対して真偽が定まるという意味で完全な命題を表現する。しかし私たちが複数の世界にまたがって存在するために、真理は文脈依存的になる。