読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Peter van Inwagen「復活の可能性」

http://philpapers.org/rec/VANTPO-21
van Inwagen, Peter (1978). The Possibility of Resurrection. International Journal for Philosophy of Religion 9 (2):114-121.

キリスト教の教義では、世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行うことになっている。この論文では、死者を復元してもそれはレプリカなので、復活したことにならないのではないかという驚くほどどうでもいい問いを扱っている(非クリスチャンにとっては)。


以下の本に入っているのを読んだけど、これは抄録だったので現物を探した方がいい(合法なものかわからないのでリンクしないが、アップロードされている)。
ImmortalityImmortality


なお復活の教義では、復活するのは魂ではなく、肉体を持った人であることは明言されているらしい。しかし、復活はそもそも概念的に可能なのかというのがインヴァーゲンの問題である。
インヴァーゲンは書いてないが、これは物質転送機の問題によく似ている。SFなどでよく出てくる、人の肉体を消滅させ、転送して再構成するタイプの物質転送機。物質転送機の場合も「それって結局死んでるのではないか」と考える人がいる。
↓関係ないけど、物質転送機を受け入れなかった哲学者の悲劇を描いた漫画(英語)。
http://existentialcomics.com/comic/1


インヴァーゲンは草稿との類比で説明している。ある僧侶が神に祈り、神が奇跡の力で、失なわれたアウグスティヌスの草稿の完全な複製を作ったとする。しかしこれはアウグスティヌスの草稿ではない。
インヴァーゲンはいくつか基準をあげているが、それが直前に存在したのは、アウグスティヌスが死んだ後である。それはアウグスティヌスの生前は存在しなかった。また、アウグスティヌスの草稿はアウグスティヌスが書いたものだが、これは神が作ったものである。仮にまったく違いが無いとしても、これはアウグスティヌスの草稿ではないし、そもそも草稿ではない。草稿の同一性に関する基準からすると、これはアウグスティヌスが書いたものと同一の草稿ではないと言わねばならないように思われる。


復活に関してもこれとよく似た問題が存在する。仮に、かつて存在した人の完全な複製を作ったとしても、なぜそれがかつて存在した人と同一であると言えるのか。おそらく、インヴァーゲンはここで、人が同一の人であるためには、身体が同一でなければならないと考えている。しかし、一度バラバラになって再構成されたものは元の身体と同一ではない。


よくあるストーリーは、以下のようなものだ。

神はかつて死んだ人を構成していたすべての原子集め、かつて存在していた人と違いのない人を作り上げる。神はこれによってかつて存在したのとまったく同じ人を復元するのである。

インヴァーゲンはこのストーリーがうまくいかない理由を4つあげている。

因果の鎖に訴える議論

私を構成している原子がそこにあるのは、私の中で起きている生命活動のプロセスのためである。死体になったとしても、それらの原子がそこにあるのはかつて存在した生命のプロセスのためである。従って、フレッシュな死体を復活させるのは問題ない。しかし火葬や腐敗により完全に破壊された人の場合、因果の鎖は途切れているため、再構成できない。仮に神が原子を集めても、それはかつてあった生命のプロセスによってではなく、神の奇跡によってその場所にあるにすぎない。それは人ではないし、それが人の記憶や言語や思考を持つことはできない。

おそらく上記がメインの議論で、以下の3つは補足的に付け足されている。

原子は崩壊する

上記のストーリーによれば、原子が崩壊すると復活できなくなる。

原子の共有の問題

かつてソクラテスを構成していた原子が他の人を構成するといったことは十分ありえるわけだが、神はその場合どっちを優先すればいいのか。

分裂の問題

原子の再構成による復活が可能だとしよう。私が十歳の時に私を構成していた原子と、私が死ぬ時に私を構成する原子はおそらく完全に別である。従って神は十歳の私と、死ぬ直前の私の両方を復活させることができる。この場合、十歳型の私と、死ぬ直前型の私は別人だが、どちらも私であることなり、矛盾が生じる。


インヴァーゲンによれば、もし上記の議論が正しいとして、なお復活の教義を受け入れたい場合は以下のように考えるしかない。神は死体をこっそりと模造品と置き換えてあり、脳や神経系のような重要な部分は保管してあると。これは批判として言っているわけではないらしいのだが、本気で言っているとすれば驚くべき主張だ。
Internet Encyclopedia of Philosophyでは「それでは神は嘘をついていることになる」と批判されている。