http://philpapers.org/rec/BAXLIA
Baxter, Donald L. M. (2001). Loose identity and becoming something else. No〓s 35 (4):592–601.
私たちはいろんなものを「同じである」と見なす。例えば、今日大阪を襲ったのと同じ台風が明日東京に到来すると言うことは日常生活ではよくあるし、実際特に問題ない。
しかし昨日の台風と今日の台風が本当に同じものであるのかも、そもそも台風というひとつのものがあるのかもよくわからない。台風を構成する空気や砂や雨などはどんどん別のものに入れ替わっているし、台風の状態も変わる。変化する対象の時間を通じての同一性はどれも緩やかな同一性であると考えられるが、台風のようなケースは特に同一性は曖昧である。
異なる二つのものの間に厳密な同一性が成り立つとすると矛盾が起きてしまうので、こうしたケースは「緩やかな同一性」として、厳密な同一性とは区別されねばならない。
アームストロングは緩やかな同一性を、同値クラスに共に属する関係とした(詳細は書いてないのでよくわからないが、最後に同値関係の説明を付けておいた)。これは巧みな解決で、これによれば緩やかな同一性がなぜ「同一性」と呼ばれるのは理解しやすい。
しかし、この解決策には問題があって、緩やかな同一性には推移性が成り立たないかもしれない。また、同一性の程度みたいなものもあるかもしれない。
例えば、台風が渦巻き雲になり、渦巻き雲がその後普通の雲のかたまりになるとしよう。台風と渦巻き雲は緩やかに同一であり、渦巻き雲と雲のかたまりは緩やかに同一であるが、元の台風と最後の雲のかたまりは同一ではない。あるものが別のものになるケースでは、こういうことはよくある。粘土が塑像になる場合や受精卵が人になる場合がそうだ。緩やかな同一性を保ちながら連続的な変化がつづき、やがて別のものが現れる。
同値関係と同値クラスを複数種類用意すれば一応アームストロングの解決策を維持できるが、その場合もはや同値な関係にこだわる必要はないように思われる。
そこで、緩やかな同一性を同値関係とするのはあきらめよう。緩やかな同一性は推移性が成り立たないし、程度の違いを許すような関係である。しかし、その場合なぜ緩やかな同一性が「同一性」と呼ばれるのかが問題になる。
Baxterによれば、緩やかな同一性は実際には非推移的であり、別のもの同士の複雑な関係であるが、同一性を「装うfeign」。この「装う」という語はヒュームから持ってきたらしい。
Baxterはごっこ遊びのアナロジーでこれを説明している。例えば人形に空の哺乳瓶をくっつけたとき、ごっこ遊びの上では「赤ちゃんにミルクをあげた」と言うことは正当だろう。「赤ちゃんにミルクをあげた」は現実には偽であるが、ごっこ遊びの上では真である。
このように、私たちは一種のフィクションとして、同一性ではない関係を同一性と見なしている。ただし、Baxterによればこれはアナロジーであって、文字通りのフィクションではない。
では、その装われた同一性関係はいつ成り立つのか?
Baxterは二つ条件をあげている。
- 二つのものを同一であると見なすことで、予測が容易になる。
- 個々の構成要素より、全体に関心がある。
例えば、台風を一つのものと見なすことで、台風について考えやすくなる。台風の進路を予測したり、台風から逃げるなどの行動が取りやすくなる。一方私たちは台風の構成要素である個々の空気には特に関心を持っていない。
こうした場合、装われた同一性を想定することには利便性があるのである。
同値関係の説明
以下を満たす関係Rが同値な関係と呼ばれる。なお「友人関係」みたいな意味で「同値な関係」という特定の関係があるわけではなく、「同値な関係」というのは関係の種類のことなので注意されたい。
例えば、7で割ったあまりが等しいことは、同値関係である。
aとbが7で割ったあまりが等しく、bとcを7で割ったあまりが等しければ、aとcを7で割ったあまりも等しい。x=yならば、xとyを7で割ったあまりが等しいのは当たり前だし、aとbを7で割ったあまりが等しければ、aとbを入れ替えても当然成り立つ。
また、同値関係にあるもの同士を集めると、元の対象を重複のない集合に分割できることが知られている。これを「同値類」と言う(ちなみに、上記のようなあまりが等しいものが形成する同値類には「剰余類」という名前がついている)。Baxterが同値クラスと言っているのは、緩やかな同一性によって形成される同値類のことだと考えられる。
なお、厳密な同一性関係は代表的な同値関係の一つである。この意味で、もし緩やかな同一性が同値関係であれば、緩やかな同一性がなぜ「同一性」と呼ばれるのかはわかりやすい。
さらに、いわゆる四次元主義による解決は、この同値関係による解決のバリエーションのひとつであると考えられる。四次元主義者によれば、台風は時空ワームであり、三次元の広がりを持つだけではなく、時間方向にも広がっている。昨日の台風と今日の台風は、この時空ワームの時間的部分である。また、それぞれの時間的部分は、同じワームに属するがゆえに「同じ台風」と呼ばれる。
四次元主義の哲学―持続と時間の存在論 (現代哲学への招待―Great Works)
しかし、上の三つの条件の内、緩やかな同一性については推移性が成り立たないので困りましたねというのが本文で展開されている話である。